荘敖
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堵敖 熊囏 | |
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楚 | |
第3代王 | |
王朝 | 楚 |
在位期間 | 前675年 - 前672年 |
都城 | 郢 |
姓・諱 | 熊囏 |
生年 | 不詳 |
没年 | 荘敖5年(前672年) |
父 | 文王 |
母 | 息嬀 |
堵敖(とごう)は、春秋時代の楚の王。杜敖(とごう)あるいは荘敖(そうごう)とも書かれる。姓は羋、氏は熊。諱は囏。
生涯
[編集]文王と息嬀のあいだの子として生まれた。文王15年(紀元前675年)、文王が薨去すると、後を嗣いで楚王となった。
荘敖5年(紀元前672年)、堵敖は弟の熊惲を殺そうとしたが失敗して、熊惲は随に亡命した。熊惲は随の国人の助けを借りて、堵敖を襲撃し、堵敖は殺害された。
参考文献
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