花城永渡
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花城 永渡(はなしろ えいと、1878年(明治11年)9月24日 - 昭和13年(1938年)1月31日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。
経歴
[編集]沖縄県八重山郡石垣町(現在の石垣市)出身。1899年(明治32年)、沖縄師範学校を卒業して、郷里の大川尋常小学校の訓導となった。1903年(明治36年)に上京して、東京市小石川第一尋常小学校訓導となり、そのかたわら日本大学高等師範科に通った。1906年(明治39年)、日本大学高等師範科を卒業し、東京府豊多摩郡千駄谷尋常高等小学校校長に就任した。その後も夜間通学を続けて、1907年(明治40年)に日本大学法科専門部を卒業した。同年、会計検査院属に任官された。1913年(大正2年)、判事検事登用試験に合格して司法官試補となるが、翌年に辞して沖縄で弁護士事務所を開業した。1923年(大正12年)には沖縄県弁護士会会長も務めた[1]。
1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。4回の当選回数を数えた。その間、1925年(大正14年)には那覇市会議員も兼ね、議長にも選ばれた。
脚注
[編集]- ^ 『沖縄人事興信録』大典記念沖縄県人事興信録編纂所、1929年。
参考文献
[編集]- 『沖縄県人事録』沖縄朝日新聞社、1937年。