脇村市太郎
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脇村 市太郎(わきむら いちたろう、1874年(明治7年)10月18日[1] - 1960年(昭和35年)4月8日[2])は、日本の薬剤師[3]、実業家。田辺銀行監査役[3]、田辺町会議員。田辺市名誉市民[2]。
人物
[編集]現在の田辺市[2]で脇村市太夫の長男として生まれた[3]。1893年(明治26年)帝国大学医科大学中退[2]。家業の薬種商[2]、山林業を営む。
1956年(昭和31年)に脇村奨学会を設立し[2]、和歌山県の大学進学者に育英奨学金を支給している[2][4]。
田辺市文化交流センター「たなべる」には脇村市太郎像が設置されている[5]。
家族・親族
[編集]- 脇村家
- 父・市太夫[3]
- 妻・ゆき(1880年 - ?、和歌山、辻市郎の二女)[3]
- 男・義太郎[3][6](1900年 - 1997年、経済学者)
- 男・禮次郎(1904年 - 1988年)
- 孫・春夫(禮次郎の子、第5代日本高等学校野球連盟会長)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 和歌山県史編さん委員会編『和歌山県史 人物』和歌山県、1989年。