第百一号駆潜特務艇
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艦歴 | |
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建造所 | バタビア造船所 |
起工 | |
進水 | |
竣工 | 1942年竣工 7月10日艦籍編入 |
喪失 | 1945年4月8日戦没 |
除籍 | 1945年7月10日 |
要目(整備完成時) | |
排水量 | 基準:67トン |
全長 | 水線長:22.70m |
全幅 | 水線幅:4.30m |
吃水 | 1.50m |
機関 | カーマス式ガソリン機関4基、2軸、2,000馬力 |
速力 | 26.0ノット |
航続距離 | |
燃料搭載量 | |
乗員 | |
兵装(推定) | 13mm単装機銃2艇、爆雷4個 |
第百一号駆潜特務艇(だいひゃくいちごうくせんとくむてい)は、日本海軍の駆潜特務艇。旧オランダ海軍沿岸用掃海艇「テジュリメイ(Tejurimei)」で1942年に捕獲、1945年戦没。
艦歴
[編集]旧オランダ海軍メラピ(Merapi)級沿岸用掃海艇の3番艇テジュリメイ(Tejurimei)。1942年(昭和17年)の竣工直後に日本軍が侵攻、ジャワ島タンジョン・プリオクで同級の3艇(メラピ、スラマト(Slamat)、本艇)が自沈した。日本軍はそのうち本艇を捕獲、浮上させ同年7月10日に日本海軍の艦籍に編入、駆潜特務艇に類別され第百一号駆潜特務艇[1]と命名された。同年8月4日にスラバヤの第百二海軍工作部で整備完成、その後は主に港湾や沿岸での対潜哨戒に使用された。
1945年(昭和20年)4月8日にセレベス島南東においてアメリカ海軍水上艦艇と交戦、沈没した。
脚注
[編集]- ^ 昭和17年7月10日付 海軍 達第198号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070115100 で閲覧可能。
参考文献
[編集]- 「世界の艦船 増刊第45集 日本海軍護衛艦艇史」海人社、1996年2月号増刊、第507集
関連項目
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