第8回印象派展
第8回印象派展(huitième exposition des impressionnistes)は、印象派グループの最後の展覧会である。この展覧会は、ラフィット通りとイタリアン大通りの角のラフィット通り1番地にあるメゾン・ドレで1886年5月15日から6月15日まで開催された。ポスターとカタログに「印象派」(impressionniste)の文字は表記されず「第8回展覧会」(Huitième exposition)と書かれている[1]。ベルト・モリゾと夫のウジェーヌ・マネが多額の資金提供をしている[2]。
参加者と主な非参加者
[編集]マリー・ブラックモン、メアリー・カサット、ベルト・モリゾ、エドガー・ドガ、ジャン=ルイ・フォラン、ポール・ゴーギャン、アルマン・ギヨマン、カミーユ・ピサロ、リュシアン・ピサロ、オディロン・ルドン、アンリ・ルアール、エミール・シェフネッケル、ジョルジュ・スーラ、ポール・シニャック、シャルル・ティヨ、ヴィクトール・ヴィニョン、フェデリコ・ザンドメーネギの17人が参加している[1][3]。
初めて新印象派の作品と印象派の作品が一緒に展示された。カミーユ・ピサロは自身で点描画法を用い、スーラ、シニャック、リュシアン・ピサロが参加するよう尽力した。ドガとウジェーヌ・マネは、革新的な画家の参加に反対した。スーラ、シニャック、オディロン・ルドンの参加は認めたが、アングランとデュボア・ピレの参加には反対した[1][2]。ベルト・モリゾは、新しい画家たちの参加に寛容な態度を示し精力的に動いた。
第8回印象派展には、印象派を代表する画家が何人か参加していない。モネ、シスレー、ルノワール、カイユボットは、ピサロが支援する若い画家たちと妥協できず、ゴーギャンの参加に悩み、参加を拒否した[2][4]。セザンヌは、プロヴァンスに住み、1877年以降、印象派展に参加していない[5]。
脚注
[編集]- ^ a b c Paul Signac (1964). D' Eugène Delacroix au néo-impressionnisme. p. Pages 89, 90, 147 et 148
- ^ a b c Dominique Bona (2014). Berthe Morisot. p. Page 278 et 279. ISBN 978-2-246-53711-3
- ^ Félix Fénéon (1966). Au delà de l'impressionnisme. pp. Pages 58 à 67
- ^ Joan U. Halperin (1991) (フランス語). Félix Fénéon. pp. Pages 100 à 109. ISBN 2-07-071699-6
- ^ Théodore Duret (1939). Librairie Floury. ed. Histoire des peintres impressinnistes. p. page 160