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第117師団 (日本軍)

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第117師団
創設 1944年(昭和19年)7月10日
廃止 1945年昭和20年)
所属政体 大日本帝国
所属組織 大日本帝国陸軍
部隊編制単位 師団
兵種/任務 歩兵
所在地 河南省-黒竜江省-吉林省
編成地 河南省 新郷
通称号/略称
補充担任 東京師管東京師管区
最終上級単位 第44軍
最終位置 吉林省 大賚
戦歴 太平洋戦争
(ソ連対日参戦)
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第117師団(だいひゃくじゅうななしだん)は、大日本帝国陸軍師団の一つ。

沿革

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太平洋戦争の末期後に華北に駐屯していた第26師団フィリピン戦線に、第62師団沖縄に転用されたため、中国に在った独立歩兵旅団(独立混成旅団)を改編し、占領地の警備と治安維持を目的に編成した治安師団の一つであり、同時に第114師団第115師団第118師団が新設された。これら4個師団は、1944年(昭和19年)7月10日、軍令陸甲第79号下令により、編成が発令された。

第117師団は、河南省新郷で独立歩兵第14旅団を基幹に編成された。編成後、第12軍に編入され、黄河以北の京漢線沿線の警備に当たっていた。

師団の編制は、4個独立歩兵大隊から成る歩兵旅団を2個持ち、砲兵を欠いた丙師団である。しかし、1945年(昭和20年)3月に師団迫撃砲隊が新たに編成され師団に編合された。

1945年(昭和20年)4月には老河口作戦に参加する予定であったが中止、関東軍第44軍戦闘序列に編入された。桃南に駐屯していたところ、同年8月9日ソ連対日参戦となったため新京方面に向け後退中、終戦となり、師団主力は吉林省公主嶺で武装解除された。

師団概要

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歴代師団長

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  • (心得)鈴木啓久 少将:1944年(昭和19年)7月14日 - 1945年(昭和20年)4月30日[1]
  • 鈴木啓久 中将:1945年(昭和20年)4月30日 - 終戦[1]

参謀長

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  • 江口浩平 大佐:1944年(昭和19年)7月14日 - 1945年5月29日[2]
  • 八木東 中佐:1945年(昭和20年)6月4日 - 終戦[3]

最終所属部隊

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  • 歩兵第87旅団:庄司巽少将
    • 独立歩兵第203大隊:中田卯三郎大尉
    • 独立歩兵第204大隊:上古正樹大尉
    • 独立歩兵第205大隊:星野六蔵少佐
    • 独立歩兵第206大隊:日野原松市少佐
  • 歩兵第88旅団:池田次郎少将
    • 独立歩兵第388大隊:遠間公佐久大尉
    • 独立歩兵第389大隊:白戸憲吉郎少佐
    • 独立歩兵第390大隊:阿部庄司大尉
    • 独立歩兵第391大隊:西元弥太郎大尉
  • 第117師団迫撃砲隊:田岡貞一大尉
  • 第117師団工兵隊:佐久間成夫大尉
  • 第117師団輜重隊:山中勇大尉
  • 第117師団通信隊
  • 第117師団野戦病院:丹保司平軍医少佐
  • 第117師団病馬廠

脚注

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  1. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』298頁。
  2. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』451頁。
  3. ^ 『帝国陸軍編制総覧』1227頁。

参考文献

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  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。

関連項目

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