福原資広

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福原資広
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正19年6月13日1591年8月2日
別名 中務丞
戒名 月山
主君 那須資晴
氏族 下野福原氏
父母 父:福原資孝
兄弟 資広資保千本資勝資通大田原増清
正室:大田原綱清
養子:資保
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福原 資広(ふくはら すけひろ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将那須氏の家臣。

福原資孝の嫡男として誕生。父・資孝と共に那須資晴に仕えた。天正13年(1585年)の薄葉ヶ原の戦いでは戦功を挙げる。天正18年(1590年)の小田原征伐では、父が豊臣秀吉に臣従して所領安堵を受けたのを機に家督を譲られる。しかし、翌年病死したために、弟・資保が当主となった。