福原吉春

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福原吉春
個人情報
国籍日本
生誕 (1942-02-10) 1942年2月10日
北海道磯谷郡
死去1975年4月23日(1975-04-23)(33歳)
新潟県中頸城郡
スポーツ
競技アルペンスキー

福原 吉春(ふくはら よしはる、1942年昭和17年)2月10日 - 1975年昭和50年)4月23日?)は、日本アルペンスキーヤー

経歴[編集]

北海道磯谷郡蘭越町出身。北海道倶知安農業高等学校から明治大学に進み、大学3年時の1963年に第41回全日本スキー選手権大会アルペンスキー競技滑降回転の2種目で優勝する[1][注釈 1]1963年、北海道スポーツ賞を受賞する[2]

1964年1月19日、オーストリアで開かれたゴルデック国際スキー大会の回転競技で優勝する[3]。同年、オーストリアチロル州インスブルックで開かれた第9回オリンピック冬季競技大会に出場した。成績は滑降が45位、回転が23位、大回転が25位であった[4][5]

1965年1月にスイスで開かれたラウバーン国際スキー大会において、男子滑降で43位、男子回転レースで14位に終わる[6]

1966年、第44回全日本スキー選手権大会アルペンスキー競技に滑降と回転の2種目で再び優勝する[1][注釈 2]。同年2月12日イタリアトリノで開かれたユニバーシアード冬季大会の男子滑降で11位となる[7][注釈 3]。同年8月10日チリのポルティーヨで開かれたアルペンスキー世界選手権の男子大回転競技で36位となる[9]

1967年2月11日、イタリアのタルヴィージオで開かれたタオスタ杯国際アルペンスキー大会回転競技で13位に終わった[10]

1968年フランスイゼール県グルノーブルで開かれた第10回オリンピック冬季競技大会に出場する。成績は滑降が54位、回転が失格、大回転が50位であった[4][11]。所属していたゴールドウィンを退社し同年6月、日本で初めてプロ・スキー・レーサー協会に入りプロへ転向した[12]

1975年5月3日午前8時頃、福原が新潟県中頸城郡妙高高原町にある「福原プロスキー学校」で死んでいるのを学校の留守番の人が発見した。警察の調べによると、福原は知人の借金の肩代わりやスキー学校の経営難を苦にしたガス自殺であり、4月23日頃に死亡したとされている[13][14]

関連作品[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 大回転は富井一が優勝する[1]
  2. ^ 大回転は気田義也が優勝する[1]
  3. ^ 2月9日の男子回転競技では失格となった[8]

出典[編集]

  1. ^ a b c d 全日本スキー選手権大会 アルペン/第34回(1956年)~第54回(1976年)”. 公益財団法人全日本スキー連盟. 2020年5月25日閲覧。
  2. ^ 北海道スポーツ賞” (PDF). 北海道環境生活部スポーツ局スポーツ振興課. 2020年5月25日閲覧。
  3. ^ 「福原 回転に優勝 ライトナーを押さえる ゴルデック国際スキー」『朝日新聞』、1964年1月20日、6面。
  4. ^ a b オリンピック出場選手全記録” (PDF). 公益財団法人全日本スキー連盟. 2020年5月25日閲覧。
  5. ^ 連載17 記録に見る日本のスキー競技史1923年、日本のスキー競技ははじまった”. 公益財団法人全日本スキー連盟 (2008年11月13日). 2020年5月25日閲覧。
  6. ^ 「福原回転で14位 ラウバーホーン国際スキー」『朝日新聞』、1965年1月11日、12面。
  7. ^ 「滑降で福原は11位 ユニバーシアード」『朝日新聞』、1966年2月13日、13面。
  8. ^ 「期待の福原は失格 男子回転 優勝はバヘレダ ユニバーシアード冬季大会」『朝日新聞』、1966年2月10日、13面。
  9. ^ 「福原は36位 世界アルペン」『朝日新聞』、1966年8月11日、6面。
  10. ^ 「福原選手が13位 タオスタ杯回転」『朝日新聞』、1967年2月13日、13面。
  11. ^ 連載19 記録に見る日本のスキー競技史1923年、日本のスキー競技ははじまった”. 公益財団法人全日本スキー連盟 (2008年11月28日). 2020年5月25日閲覧。
  12. ^ 「新しいプロ 福原吉春選手の場合 まず生活の安定 「世界」を相手に外貨獲得」『朝日新聞』、1968年12月22日、13面。
  13. ^ 「元五輪選手の福原さん自殺 スキー学校が経営難」『朝日新聞』、1975年10月5日、23面。
  14. ^ 「元五輪選手の福原さん自殺 スキー学校経営に行き詰まり」『読売新聞』、1975年10月6日、22面。