祖式通治
表示
時代 | 江戸時代 |
---|---|
生誕 | 万治2年(1659年) |
死没 | 享保7年5月8日(1722年6月21日) |
別名 | 通称:小平次、次郎右衛門 |
主君 | 毛利綱広→吉就→吉広→吉元 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 石見小笠原氏庶流 祖式氏 |
父母 | 父:祖式就信 母:赤川就雅の娘 |
兄弟 | 通治、林忠次室 |
妻 | 椙杜幸童の娘 |
子 |
兼正、治勝、遠藤正晴室、 赤川周照初室、赤川周照継室 |
祖式 通治(そしき みちはる)は、江戸時代の武士。毛利氏の家臣で、長州藩士。家格は大組、770石。父は祖式就信。
生涯
[編集]万治2年(1659年)、長州藩士である祖式就信の嫡男として生まれる。寛文7年(1668年)に父の就信が死去したことで後を継ぎ、毛利綱広、吉就、吉広、吉元の四代に仕える。
正徳3年(1713年)1月25日、病を理由として隠居を願い出て許される。享保7年(1722年)5月8日に死去。享年64。後を嫡男の兼正が継いだ。