石川正光
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長20年(1615年) |
死没 | 寛文11年9月10日(1671年10月12日) |
改名 | 嘉助(幼名)→宗共(初名)→正光 |
別名 | 伊賀(通称) |
主君 | 徳川義直→光友 |
藩 | 尾張藩家老 |
氏族 | 美濃石川氏 |
父母 | 父:石川光忠、母:阿部正興の娘 |
兄弟 | 正光、宗直、忠昌 |
妻 | 正室:渡辺重綱の娘、継室:竹腰正信の娘 |
子 | 章長、娘(生駒宗勝室)、娘(渡辺長綱室) |
石川 正光 (いしこまさみつ)は、尾張藩家臣、美濃駒塚領主、石川(石河)家第2代当主。
生涯
[編集]慶長20年(1615年)、尾張徳川家家臣石川光忠の子として生まれる。寛永5年(1628年)父の死去により家督と知行7300石を相続し寄合となる。承応元年(1652年)家老となる。寛文4年(1664年)家老を辞職。寛文8年(1668年)再び家老となる。寛文9年(1670年)名古屋から遠い美濃石津郡市之瀬から、中島郡駒塚に移り陣屋を設けた。
寛文11年(1671年)9月10日死去。享年57。家督は長男の章長が相続した。
参考文献
[編集]- 『名古屋市史』