白杉庄一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

白杉 庄一郎(しらすぎ しょういちろう、1909年 - 1961年)は、日本の経済学者。経済学史やマルクス経済学の研究者として知られる[1]

1928年京都師範学校(現・京都教育大学)本科第2部に入学し、翌年卒業[1]。続けて京都帝国大学経済学部に入学(当初選科、1930年より本科)し、1931年に大学院に進学[1]石川興二に師事し、1934年に京都帝大経済学部講師に就任した[1]。1940年に助教授に昇格するが、太平洋戦争終結後に経済学部で起きた「戦争責任の自己批判」論に伴い、1946年に京都帝大を退職する[1]。1947年、彦根経済専門学校(1949年より滋賀大学経済学部)の教授となる[1]。1960年4月より立命館大学教授に就任[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 田中秀夫「白杉庄一郎のアダム・スミス研究」『経済論叢』第172巻第3号、京都大学、2003年