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王常 (後漢)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

王 常(おう じょう、? - 36年)は、中国代から後漢時代初期の武将。後漢草創期の功臣の1人。顔卿豫州潁川郡舞陽県の人。父は王博。子は王広。最初は緑林軍の部将、下江軍の頭領、更始帝(劉玄)配下の武将であった。光武帝の功臣団「雲台二十八将」と並び洛陽南宮の雲台で顕彰されたため、「雲台三十二将」のひとりと称されることもある。

事跡

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姓名 王常
時代 代 - 後漢時代
生没年 生年不詳 - 36年建武12年)
字・別号 顔卿(字) 劉常(賜姓後)
本貫・出身地等 豫州潁川郡舞陽県
職官 偏将〔王匡〕→〔下江軍頭領〕

廷尉(後に兼行南陽太守事)〔更始〕
→左曹〔後漢〕→漢忠将軍〔後漢〕
→横野大将軍〔後漢〕 

爵位・号等 知命侯〔更始〕→鄧王〔更始〕

→山桑侯〔後漢〕→山桑節侯〔没後〕

陣営・所属等 王匡→〔独立勢力〕→更始帝光武帝
家族・一族 父:王博 子:王広

緑林軍の挙兵

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王莽の統治の末期に、弟の仇を討ったために江夏郡へ逃亡した。その後、王匡王鳳を頭領とする緑林軍に加わり、偏将として活動する。

地皇3年(22年)、疫病により緑林軍を分散しなければならなくなると、成丹張卬[1]とともに藍口聚(南郡編県)へ向かう。そこで自軍を「下江軍」と号し、王常はこの軍の頭領とみなされた。まもなく新の納言将軍荘尤(厳尤)・秩宗将軍陳茂の攻撃を受けて下江軍は大敗する。しかし石龍山・三鍾山(南陽郡随県)付近で再び勢力を回復した。その後、王常らは上唐郷(南陽郡舂陵県)で荊州牧の軍を撃破し、宜秋聚(南陽郡平氏県)を拠点としている。

同年末、舂陵軍の劉縯劉秀の兄)が合流を求めて宜秋聚に交渉にやってきた。張卬と成丹は、劉縯の家柄を考えれば、その下風に立たざるを得ないと考え、合流に消極的であった。しかし合流を望む王常は、「南陽劉氏の者たちは皆深謀遠慮があり、必ずや成功する」と説得し、2人を始めとする他の下江軍部将にこれを承認させた。地皇4年(23年)1月、舂陵軍・下江軍の連合軍は、沘水で新の前隊大夫(新制の南陽太守甄阜、属正(新制の都尉)梁丘賜を撃破し、討ち取っている。

更始政権での活躍

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その後、緑林軍が再集結した連合軍においては、劉縯と平林軍出身の劉玄とのいずれを天子として擁立するかが、諸将の間で議論となった。この際に王常は、南陽の士大夫(舂陵の諸将など)とともに劉縯を推し、その他の諸将は劉玄を推している。結局劉縯は、分裂を避けるために劉玄にその地位を譲った。こうして更始元年(23年)2月、劉玄は更始帝として即位する。王常は廷尉に任命され、知命侯に封じられた。

まもなく王常は、劉秀・王匡らに従って昆陽(潁川郡)等へ進撃した。同年6月、王常は王鳳とともに昆陽城に立て篭もる。そして、援軍を連れて戻ってきた劉秀と協力し、大司空王邑大司徒王尋らが率いる新の主力部隊を殲滅した(昆陽の戦い)。更始2年(24年)2月、更始帝が長安に遷都すると、王常は行南陽太守事とされ、鄧王にも封じられる。また8県を食邑とし、劉姓を賜った。このとき、法規を遵守して、南方の人々からその統治を賞賛されている。

後漢での活躍

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建武2年(26年)、王常は妻子を連れて光武帝のいる洛陽を訪れ、肉袒(上半身肌脱ぎ)して降伏した。光武帝は王常の到来を喜び、これを赦して左曹に任命し、山桑侯に封じた。その後、王常は漢忠将軍に任命され、荊州に割拠していた鄧奉董訢の討伐に従軍する。さらに北方へ転じて、河間郡・漁陽郡を平定した。

建武5年(29年)秋には、光武帝に従って蘇茂龐萌を討伐し、力戦奮闘した。建武6年(30年)、長安に駐屯して隗囂に備える。建武7年(31年)、横野大将軍に任命され、他の将軍よりも高位となる。そして隗囂配下の高峻を朝那(安定郡)で破り、他の隗囂軍や羌軍を平定した。建武9年(33年)、内黄(魏郡)の反乱を鎮圧し、さらに北方の故安(涿郡)に駐屯して盧芳に備える。

建武12年(36年)、王常は故安駐屯中に亡くなり、節侯の号を追贈された。子の王広が山桑侯を継承し、後に石城侯に転封された。しかし永平14年(71年)、王広は楚王劉英の反乱に関与したため、改易された。

人物像

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慎み深く謙虚で倹約質素な人柄ながら、勇猛果敢な戦いぶりを度々示した将軍である。また、下江軍時代に説得交渉に来た劉縯とは、「断金[2]の交わりの仲になったという。

脚注

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  1. ^ 張卬は、『後漢書』劉玄伝によると新市軍に、同王常伝によると下江軍に合流したとされているが、本記事では後者をとる。
  2. ^ 易経』繋辞上伝の「二人同心、其利断金」に由来し、金属を断ち切るほどの深い友情を指す。

参考文献

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  • 後漢書』列伝5王常伝 本紀1上光武帝紀上・下光武帝紀上・下 列伝4斉武王縯伝

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