「鳥飼大橋」の版間の差分

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[[画像:Torikaiohhasi-reverse.JPG|thumb|right|鳥飼大橋 下流側から]]
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'''鳥飼大橋'''(とりかいおおはし)とは、[[大阪府]][[守口市]]大日町と[[摂津市]]鳥飼西間の[[淀川]]をわたる[[橋]]である。道路橋2本とモノレール橋([[大阪高速鉄道]])、高速道路橋([[近畿自動車道]])があるが、中でも最も西側(下流側)に設けられた橋長550mのゲルバートラス橋は[[1954年]]に竣工したものである。
'''鳥飼大橋'''(とりかいおおはし)とは、[[大阪府]][[守口市]]大日町と[[摂津市]]鳥飼西間の[[淀川]]をわたる[[橋]]である。道路橋2本とモノレール橋([[大阪高速鉄道]])、高速道路橋([[近畿自動車道]])があるが、中でも最も西側(下流側)に設けられた橋長550mのゲルバートラス橋は[[1954年]]に竣工したものである。
当初は[[日本道路公団]]が管理する最初の有料橋であった。後に償還前に大阪府によって買い取られ、現在も[[大阪府道2号大阪中央環状線]]の一部(北行き一方通行2車線)として利用されている。


近畿道[[摂津南インターチェンジ|摂津南IC]]や[[国道1号]]、さらには[[阪神高速道路12号守口線]]が接続し、大阪府下で'''最大級のボトルネック'''となっており渋滞が頻発している。
近畿道[[摂津南インターチェンジ|摂津南IC]]や[[国道1号]]、さらには[[阪神高速道路12号守口線]]が接続し、大阪府下で'''最大級のボトルネック'''となっており渋滞が頻発している。
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ただ、大阪府道2号大阪中央環状線の渋滞解消について、[[茨木市]]の[[JR京都線]]高架においても、ほぼ同様に交通集中が発生しており、府民の期待を集める物にはなっていない。
ただ、大阪府道2号大阪中央環状線の渋滞解消について、[[茨木市]]の[[JR京都線]]高架においても、ほぼ同様に交通集中が発生しており、府民の期待を集める物にはなっていない。
== ゲルバートラス橋 ==
現在、[[大阪府道2号大阪中央環状線]]の一部(北行き一方通行2車線)として利用されているこの橋は、[[1954年]][[11月1日]]に全国初の有料橋として開通した。

当初、大阪中央環状線建設の一環として、[[1942年]]に木造の仮橋の建設が着工された。戦時中のため建設資材不足にも見舞われたが、[[1948年]]3月に開通。しかし、木造ゆえに水害などによる破損を繰り返し、また車両の通行による振動も激しく、荷重・速度制限が設定されることになった。

永久橋の設置が待ち望まれていたが、[[1952年]]に'''道路特別整備法'''が施行されたのを受け、同年9月に有料橋として起工され、建設期間2年2か月、工費3億3千万円(当時)をかけ、全長540m、全幅7.5m、ゲルバートラス型、8基の橋脚と2基の橋台を擁する立派な橋梁が竣工した。

管理は[[日本道路公団]]によってなされ(もちろん同公団にとっても初の有料橋であった)、淀川左岸に料金所が設けられた。後に償還前に大阪府によって買い取られ、無料解放された。



== 関連項目 ==
== 関連項目 ==

2006年12月21日 (木) 14:29時点における版

府道
2
大阪
大阪府道2号

要置換

鳥飼大橋 上流側から
鳥飼大橋 下流側から

鳥飼大橋(とりかいおおはし)とは、大阪府守口市大日町と摂津市鳥飼西間の淀川をわたるである。道路橋2本とモノレール橋(大阪高速鉄道)、高速道路橋(近畿自動車道)があるが、中でも最も西側(下流側)に設けられた橋長550mのゲルバートラス橋は1954年に竣工したものである。

近畿道摂津南IC国道1号、さらには阪神高速道路12号守口線が接続し、大阪府下で最大級のボトルネックとなっており渋滞が頻発している。

トラス橋については老朽化が著しく、3車線に掛け替える工事が行われている。

ただ、大阪府道2号大阪中央環状線の渋滞解消について、茨木市JR京都線高架においても、ほぼ同様に交通集中が発生しており、府民の期待を集める物にはなっていない。

ゲルバートラス橋

現在、大阪府道2号大阪中央環状線の一部(北行き一方通行2車線)として利用されているこの橋は、1954年11月1日に全国初の有料橋として開通した。

当初、大阪中央環状線建設の一環として、1942年に木造の仮橋の建設が着工された。戦時中のため建設資材不足にも見舞われたが、1948年3月に開通。しかし、木造ゆえに水害などによる破損を繰り返し、また車両の通行による振動も激しく、荷重・速度制限が設定されることになった。

永久橋の設置が待ち望まれていたが、1952年道路特別整備法が施行されたのを受け、同年9月に有料橋として起工され、建設期間2年2か月、工費3億3千万円(当時)をかけ、全長540m、全幅7.5m、ゲルバートラス型、8基の橋脚と2基の橋台を擁する立派な橋梁が竣工した。

管理は日本道路公団によってなされ(もちろん同公団にとっても初の有料橋であった)、淀川左岸に料金所が設けられた。後に償還前に大阪府によって買い取られ、無料解放された。


関連項目

外部リンク

大阪府枚方土木事務所