「イギリスの対日宣戦布告」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 改良版モバイル編集
導入部に「太平洋戦争」の宣戦布告であることを追記するなど歴史的背景や内部リンクを補足。
1行目: 1行目:
'''イギリスの対日宣戦布告'''(イギリスのたいにちせんせんふこく)とは、1941年12月8日、[[イギリス政府]]が、日本軍によるイギリス領([[マレー作戦|マラヤ]]、{{仮リンク|シンガポール空襲 (1941年)|en|Bombing of Singapore (1941)|label=シンガポール}}、[[香港の戦い|香港]])への攻撃を受けて、[[大日本帝国]]に[[宣戦布告]]したことである。
'''イギリスの対日宣戦布告'''(イギリスのたいにちせんせんふこく)とは、[[太平洋戦争]]勃発に伴い1941年12月8日、[[イギリス政府]]が、日本軍によるイギリス領([[マレー作戦|マラヤ]]、{{仮リンク|シンガポール空襲 (1941年)|en|Bombing of Singapore (1941)|label=シンガポール}}、[[香港の戦い|香港]])への攻撃を受けて、[[大日本帝国]]に[[宣戦布告]]したことである。


==背景==
==背景==
{{main|{{仮リンク|第二次世界大戦下のイギリスの軍事史|en|Military history of the United Kingdom during World War II}}}}
{{main|{{仮リンク|第二次世界大戦下のイギリスの軍事史|en|Military history of the United Kingdom during World War II}}}}
イギリスはヨーロッパで{{仮リンク|ヨーロッパ戦線 (第二次世界大戦)|en|European theatre of World War II|label=戦争}}が勃発しから2日後に[[ナチス・ドイツ]]に{{仮リンク|イギリスの対独宣戦布告 (1939年)|en|United Kingdom declaration of war on Germany (1939)|label=宣戦布告}}した。大日本帝国とナチス・ドイツは、[[共産主義]]国家である[[ソビエト連邦]]からの予測さる脅威に対抗するために、1936年[[防共協定]]を締結していた。イギリスの[[ウィンストン・チャーチル]]首相は、アメリカの[[フランクリン・ルーズベルト]]大統領との交渉で、日本アメリカに攻撃してから1時間以内にイギリスが宣戦布告することを約束してい<ref name=":0" />
イギリスは本国がある[[ヨーロッパ]]におい台頭する[[ナチス・ドイツ]]と対立を深め、ドイツよる[[ポーランド侵攻]]2日後の1939年9月3日、{{仮リンク|イギリスの対独宣戦布告 (1939年)|en|United Kingdom declaration of war on Germany (1939)|label=ドイツに宣戦布告}}した。れにより太平洋戦争もそ一部とする[[第二次世界大戦]]が始まった。

イギリスは、ヨーロッパで{{仮リンク|ヨーロッパ戦線 (第二次世界大戦)|en|European theatre of World War II|label=戦争}}が勃発してから2日後に[[ナチス・ドイツ]]に{{仮リンク|イギリスの対独宣戦布告 (1939年)|en|United Kingdom declaration of war on Germany (1939)|label=宣戦布告}}した。

大日本帝国は[[共産主義]]国家である[[ソビエト連邦]]からの予測される脅威に対抗するために1936年にドイツと[[防共協定]]を締結。1937年からの[[日中戦争]]で[[中華民国]]を支持する英米などと対立を深め、[[ナチス・ドイツのフランス侵攻]]が成功した1940年には[[日独伊三国同盟]]に発展した。

対独宣戦後に就任した[[イギリスの首相]][[ウィンストン・チャーチル]]は、日独への警戒を強める[[アメリカ合衆国大統領]][[フランクリン・ルーズベルト]]との交渉で、日本がアメリカに攻撃してから1時間以内にイギリスが宣戦布告することを約束していた<ref name=":0" />。

12月7日/8日、日本軍は英米に対しほぼ同時に攻撃を開始した<ref name="Wohlstetter 1962 341_343">{{Harvnb|Wohlstetter|1962|pp=341–43}}.</ref>。


12月7日/8日、日本軍がイギリスとアメリカに対しほぼ同時に攻撃を開始した<ref name="Wohlstetter 1962 341_343">{{Harvnb|Wohlstetter|1962|pp=341–43}}.</ref>。
==歴史==
==歴史==
[[真珠湾攻撃]]の一報がロンドンに届き、ルーズベルト大統領が正式な手続きを経て[[アメリカ合衆国議会|連邦議会]]に[[アメリカ合衆国の対日宣戦布告|対日宣戦布告]]を求めたことを知り、チャーチル首相もまた宣戦布告に向けて準備を始めた。アメリカだけでなくイギリス領もまた日本軍に攻撃されていたので、連邦議会の動きに合わせることはないと判断し、すぐに在英日本大使を召喚した。
米国に対する[[真珠湾攻撃]]の一報が英国首都[[ロンドン]]に届き、ルーズベルト大統領が正式な手続きを経て[[アメリカ合衆国議会]]に[[アメリカ合衆国の対日宣戦布告|対日宣戦布告]]を求めたことを知り、チャーチル首相もまた宣戦布告に向けて準備を始めた。アメリカだけでなくイギリス領もまた日本軍に攻撃されていたので、連邦議会の動きに合わせることはないと判断し、すぐに在英日本大使を召喚した。


当時、[[外務・英連邦・開発大臣|イギリスの外務大臣]][[アンソニー・イーデン]]はモスクワに向かって移動しており、チャーチル首相が外務を兼任していた。首相は、駐日英国大使に対して日本の政府に宣戦布告を通知するように指示し、在英日本大使に通知するための書簡を書いた。のちにチャーチルは"Some people did not like this ceremonial style. But after all when you have to kill a man it costs nothing to be polite."<ref>[https://books.google.com/books?id=yVQEAAAAMBAJ&pg=PA3&dq=when+you+have+to+kill+a+man+it+costs+nothing+to+be+polite&hl=sv&sa=X&ei=HCCXT7u9G4jN4QTHyP1G&redir_esc=y#v=onepage&q=when%20you%20have%20to%20kill%20a%20man%20it%20costs%20nothing%20to%20be%20polite&f=false LIFE magazine 27 sep 1954] says this is in ''[[The Second World War (book series)|The Second World War]]''</ref>と記している。
当時、[[外務・英連邦・開発大臣|イギリスの外務大臣]][[アンソニー・イーデン]]は、[[独ソ戦]]でナチス・ドイツを共同の敵として戦うようになっていたソ連の首都[[モスクワ]]に向かって移動しており、チャーチル首相が外務を兼任していた。首相は、駐日英国大使に対して日本の政府に宣戦布告を通知するように指示し、在英日本大使に通知するための書簡を書いた。のちにチャーチルは"Some people did not like this ceremonial style. But after all when you have to kill a man it costs nothing to be polite."<ref>[https://books.google.com/books?id=yVQEAAAAMBAJ&pg=PA3&dq=when+you+have+to+kill+a+man+it+costs+nothing+to+be+polite&hl=sv&sa=X&ei=HCCXT7u9G4jN4QTHyP1G&redir_esc=y#v=onepage&q=when%20you%20have%20to%20kill%20a%20man%20it%20costs%20nothing%20to%20be%20polite&f=false LIFE magazine 27 sep 1954] says this is in ''[[The Second World War (book series)|The Second World War]]''</ref>と記している。


イギリスは、アメリカが宣戦布告を行う9時間前に、日本に宣戦布告した。イギリス領(マラヤ、シンガポール、香港)もまた日本軍に攻撃されていて、またイギリスにはアメリカのように憲法に基づいて立法府に承認を求める習慣がないので、チャーチル内閣は[[イギリスの議会|議会]]に諮ることなく迅速に宣戦布告することができたのである<ref name=":0">Staff (15 December 1941) [https://web.archive.org/web/20080206234630/http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,772812,00.html "The U.S. At War, The Last Stage"] ''[[Time (magazine)|Time]]''</ref>。
イギリスは、アメリカが宣戦布告を行う9時間前に、日本に宣戦布告した。イギリス領(マラヤ、シンガポール、香港)もまた日本軍に攻撃されていて、またイギリスにはアメリカのように憲法に基づいて立法府に承認を求める習慣がないので、チャーチル内閣は[[イギリスの議会|議会]]に諮ることなく迅速に宣戦布告することができたのである<ref name=":0">Staff (15 December 1941) [https://web.archive.org/web/20080206234630/http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,772812,00.html "The U.S. At War, The Last Stage"] ''[[Time (magazine)|Time]]''</ref>。

== チャーチルの書簡 ==
== チャーチルの書簡 ==
日本の大使に対するチャーチルの書簡の内容は以下の通り。
日本の大使に対するチャーチルの書簡の内容は以下の通り。
24行目: 32行目:
::Your obedient servant,
::Your obedient servant,
::Winston S. Churchill<ref>[http://hansard.millbanksystems.com/commons/1941/dec/08/prime-ministers-declaration#column_1358 Official Report, House of Commons, 8 December 1941, 5th series, vol. 376, cols 1358–1359]</ref>}}
::Winston S. Churchill<ref>[http://hansard.millbanksystems.com/commons/1941/dec/08/prime-ministers-declaration#column_1358 Official Report, House of Commons, 8 December 1941, 5th series, vol. 376, cols 1358–1359]</ref>}}

==関連項目==
==関連項目==
*[[アルカディア会談]]
*[[アルカディア会談]]
33行目: 42行目:
*{{仮リンク|イギリスの対独宣戦布告 (1939年)|en|United Kingdom declaration of war on Germany (1939)}}
*{{仮リンク|イギリスの対独宣戦布告 (1939年)|en|United Kingdom declaration of war on Germany (1939)}}
*[[アメリカ合衆国の対日宣戦布告]]
*[[アメリカ合衆国の対日宣戦布告]]
*[[南方作戦]]


==脚注==
==脚注==

2022年1月27日 (木) 03:53時点における版

イギリスの対日宣戦布告(イギリスのたいにちせんせんふこく)とは、太平洋戦争勃発に伴い1941年12月8日、イギリス政府が、日本軍によるイギリス領(マラヤシンガポール英語版香港)への攻撃を受けて、大日本帝国宣戦布告したことである。

背景

イギリスは本国があるヨーロッパにおいて台頭するナチス・ドイツと対立を深め、ドイツによるポーランド侵攻2日後の1939年9月3日、ドイツに宣戦布告英語版した。これにより、後に太平洋戦争もその一部とする第二次世界大戦が始まった。

イギリスは、ヨーロッパで戦争英語版が勃発してから2日後にナチス・ドイツ宣戦布告英語版した。

大日本帝国は共産主義国家であるソビエト連邦からの予測される脅威に対抗するために1936年にドイツと防共協定を締結。1937年からの日中戦争中華民国を支持する英米などと対立を深め、ナチス・ドイツのフランス侵攻が成功した1940年には日独伊三国同盟に発展した。

対独宣戦後に就任したイギリスの首相ウィンストン・チャーチルは、日独への警戒を強めるアメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトとの交渉で、日本がアメリカに攻撃してから1時間以内にイギリスが宣戦布告することを約束していた[1]

12月7日/8日、日本軍は英米に対してほぼ同時に攻撃を開始した[2]

歴史

米国に対する真珠湾攻撃の一報が英国首都ロンドンに届き、ルーズベルト大統領が正式な手続きを経てアメリカ合衆国議会対日宣戦布告を求めたことを知り、チャーチル首相もまた宣戦布告に向けて準備を始めた。アメリカだけでなくイギリス領もまた日本軍に攻撃されていたので、連邦議会の動きに合わせることはないと判断し、すぐに在英日本大使を召喚した。

当時、イギリスの外務大臣アンソニー・イーデンは、独ソ戦でナチス・ドイツを共同の敵として戦うようになっていたソ連の首都モスクワに向かって移動しており、チャーチル首相が外務を兼任していた。首相は、駐日英国大使に対して日本の政府に宣戦布告を通知するように指示し、在英日本大使に通知するための書簡を書いた。のちにチャーチルは"Some people did not like this ceremonial style. But after all when you have to kill a man it costs nothing to be polite."[3]と記している。

イギリスは、アメリカが宣戦布告を行う9時間前に、日本に宣戦布告した。イギリス領(マラヤ、シンガポール、香港)もまた日本軍に攻撃されていて、またイギリスにはアメリカのように憲法に基づいて立法府に承認を求める習慣がないので、チャーチル内閣は議会に諮ることなく迅速に宣戦布告することができたのである[1]

チャーチルの書簡

日本の大使に対するチャーチルの書簡の内容は以下の通り。

Sir,

On the evening of December 7th His Majesty's Government in the United Kingdom learned that Japanese forces without previous warning either in the form of a declaration of war or of an ultimatum with a conditional declaration of war had attempted a landing on the coast of Malaya and bombed Singapore and Hong Kong.

In view of these wanton acts of unprovoked aggression committed in flagrant violation of International Law and particularly of Article I of the Third Hague Convention relative to the opening of hostilities, to which both Japan and the United Kingdom are parties, His Majesty's Ambassador at Tokyo has been instructed to inform the Imperial Japanese Government in the name of His Majesty's Government in the United Kingdom that a state of war exists between our two countries.

I have the honour to be, with high consideration,

Sir,
Your obedient servant,
Winston S. Churchill[4]

関連項目

脚注

Winston S. Churchill: The Second World War (vol.3): the Grand Alliance. (1950) ISBN 0-395-41057-6