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2021年3月14日 (日) 11:14時点における版

この記事は一度削除されています。その時の議論についてはノート:王羲之/削除を御覧下さい。


記述に時間的矛盾?

王導の従弟にあたる衛世と同僚であったため、その娘で、汝陰の太守李矩の妻となった衛夫人から、後漢の蔡邕、魏の鍾繇の書法を伝えることができ、その法を枕中の秘とした。7歳のときから衛夫人について書を学び、12歳のときに父の枕中の秘書をぬすみ見、その技量が進んだ。

「同僚の娘に7歳から習う」というのはどう考えてもありえない話です。それから、「伝えることができ」は「伝えられ」or「伝授され」でしょうね。--58.87.254.190 2008年4月4日 (金) 11:28 (UTC)[返信]

王羲之(303年 - 361年)が子供のころ衛夫人(272年 - 349年)から書法を伝授されたのは有名な話ですので、王羲之と衛世が同僚というのが間違いのようです。衛世の存在はまだ確認できてませんが、実在すれば衛恒(252年 - 291年)と兄弟ですから、年齢的に同僚というのは王導(276年 - 339年)と衛世なのかも知れません。まだ調査が必要ですが、現状を放置しておけませんので以下の訂正を提案します。
  • (訂正前)王導の従弟にあたる衛世と同僚であったため、その娘で、
  • (訂正後)衛瓘の孫娘(娘の異説あり)で、
  • (訂正前)伝えることができ
  • (訂正後)伝授され
衛夫人の紹介が目的ですので、著名性のある衛瓘に直しても問題ないと考えました。--岡部碩道 2008年4月10日 (木) 00:37 (UTC)[返信]
以下のことを確認しました。
  • 衛恒は衛瓘の子
  • 衛展は衛恒の族弟
以上の出典は、晉書/卷036
  • 衛展は衛夫人の親
以上の出典は、衛鑠
よって、「衛世の娘が衛夫人」という記述は誤りと判断し、
  • (訂正前)王導の従弟にあたる衛世と同僚であったため、その娘で、
  • (訂正後)衛恒衛瓘の子)の族弟である衛展の娘で、
との内容で本日訂正しました。誰と誰が同僚なのかは分かりませんでした。--岡部碩道 2008年4月10日 (木) 06:24 (UTC)[返信]
了承しました。なお、真偽不明の「同僚」云々というのは、「王羲之の父の同僚」と見るのが素直な仮説かと思います。--58.87.254.190 2008年4月11日 (金) 09:04 (UTC)[返信]
なるほど父親(王曠)とは思いつきませんでした。もし裏づけが取れましたらまた訂正したいと思います。ありがとうございました。--岡部碩道 2008年4月11日 (金) 09:52 (UTC)[返信]

楽毅論

『楽毅論(がっきろん)』と『楽毅論(がくきろん)』ではどちらの読み方が正しいのですか?--116.67.239.36 2014年4月22日 (火) 01:58 (UTC)[返信]

楽毅の読み方について、広辞苑(第四版)では、「がっき」と「がくき」の両方の見出しがあり、「がくき」では “→がっき” となっています。ゆえに、両方とも間違いではなく、どちらかといえば、「がっき」の方が優勢と解釈できます。
同様に楽器を調べますと、「がっき」の見出ししかありません。楽器の読み方は、今、問題にしている促音化で固定されているためと思います。楽毅の場合は、この人名を「がっき」と「がくき」の両方の読み方をする可能性があるとの理由から、広辞苑では両方の見出しを設けているのかも知れません。
ちなみに、書道辞典(飯島春敬編)では「がくきろん」、書道辞典(二玄社編集部編)では「がっきろん」、中国書道辞典(中西慶爾編)では「がっきろん」でした。--岡部碩道会話2014年4月22日 (火) 05:12 (UTC)[返信]
迅速なご回答をありがとうございました。私自身も図書館に赴き大漢和辞典等で調べてみます。--116.67.239.36 2014年4月23日 (水) 05:18 (UTC)[返信]
ご連絡ありがとうございます。大漢和辞典諸橋轍次著、1968年)で調べたところ、楽毅論は「ガクキロン」でした。しかし、楽器は「ガクキ」で、学校は「ガクカウ」と、歴史的仮名遣を用いておりますので、これは参考になりませんでした。新しい辞典で調べて下さい。--岡部碩道会話2014年4月23日 (水) 07:55 (UTC)[返信]