「青崩峠」の版間の差分

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==概要==
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[[国道152号]]の[[点線国道]]区間で未通区域となっている。1987年より[[三遠南信自動車道]]の一部としても位置づけられているが、地形の急峻さと地盤が脆弱なために道路([[青崩峠道路]])建設では後述の計画変更・事業の遅れが発生し、2017年版までの[[ツーリングマップル]]では「あまりの崩落の激しさに日本のトンネル技術が敗退」と評されていた。当初計画では青崩峠の迂回のために[[兵越峠]]直下を通過するルートが選択され、[[草木トンネル (道路)|草木トンネル]]が建設されたが、兵越峠の地盤も脆弱なことが判明し、地盤のやや硬い青崩峠西側を通るルート(青崩トンネル)に変更された経緯がある。大型以外の車両は草木トンネルを通って隣接する兵越林道を使用することにより迂回が可能。
[[国道152号]]の[[点線国道]]区間で未通区域となっている。1987年より[[三遠南信自動車道]]の一部としても位置づけられているが、地形の急峻さと地盤が脆弱なために道路([[青崩峠道路]])建設では後述の計画変更・事業の遅れが発生し、2017年版までの[[ツーリングマップル]]では「あまりの崩落の激しさに日本のトンネル技術が敗退」と評されていた。当初計画では青崩峠の迂回のために[[兵越峠]]直下を通過するルートが選択され、[[草木トンネル (道路)|草木トンネル]]が建設されたが、兵越峠の地盤も脆弱なことが判明し、地盤のやや硬い青崩峠西側を通るルート(青崩トンネル)に変更された経緯がある。大型以外の車両は草木トンネルを通って隣接する兵越林道を使用することにより迂回が可能。


なおツーリングマップルの記述は、青崩峠道路の再着工に伴って2018年版より「トンネル工事が再開」に変更された。その後2019年12月に青崩峠トンネル貫通し
なおツーリングマップルの記述は、青崩峠道路の再着工に伴って2018年版より「トンネル工事が再開」に変更された。その後2019年12月に青崩峠トンネルの調査抗(池島トンネル)が貫通している


== 青崩峠道路 ==
== 青崩峠道路 ==

2020年9月28日 (月) 12:28時点における版

青崩峠
静岡県側から長野県側を望む(2009年撮影)
所在地 静岡県浜松市天竜区長野県飯田市
座標
青崩峠の位置(日本内)
青崩峠
北緯35度15分14.1秒 東経137度54分39.8秒 / 北緯35.253917度 東経137.911056度 / 35.253917; 137.911056座標: 北緯35度15分14.1秒 東経137度54分39.8秒 / 北緯35.253917度 東経137.911056度 / 35.253917; 137.911056
標高 1,082 m
通過路 国道152号
プロジェクト 地形
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青崩峠の位置(100x100内)
青崩峠
静岡県における青崩峠の位置

青崩峠(あおくずれとうげ)は静岡県浜松市天竜区水窪町奥領家と長野県飯田市南信濃八重河内の間にある標高1,082mである。峠付近の地質構造は、中央構造線による破砕帯となっており、山腹に広がるむき出しになった青い岩盤から峠の名が付けられた。静岡県側・長野県側ともに、国道152号の端点から林道、遊歩道(かつての塩の道)を歩いて峠にたどり着くことができる。武田信玄による1572年の徳川領侵攻において、軍兵の一部が通過したことで知られている。

概要

国道152号点線国道区間で未通区域となっている。1987年より三遠南信自動車道の一部としても位置づけられているが、地形の急峻さと地盤が脆弱なために道路(青崩峠道路)建設では後述の計画変更・事業の遅れが発生し、2017年版までのツーリングマップルでは「あまりの崩落の激しさに日本のトンネル技術が敗退」と評されていた。当初計画では青崩峠の迂回のために兵越峠直下を通過するルートが選択され、草木トンネルが建設されたが、兵越峠の地盤も脆弱なことが判明し、地盤のやや硬い青崩峠西側を通るルート(青崩峠トンネル)に変更された経緯がある。大型以外の車両は草木トンネルを通って隣接する兵越林道を使用することにより迂回が可能。

なおツーリングマップルの記述は、青崩峠道路の再着工に伴って2018年版より「トンネル工事が再開」に変更された。その後、2019年12月に青崩峠トンネルの調査抗(池島トンネル)が貫通している。

青崩峠道路

文化財

  • 静岡県側は1996年(平成8年)3月12日に静岡県指定史跡に指定された[1]
  • 長野県側は1999年(平成11年)12月22日に南信濃村(現・飯田市)指定史跡に指定された[2]

脚注

関連項目