兵越峠
| 兵越峠 | |
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兵越峠を通る長野県(手前)と静岡県(奥)の県境 | |
| 所在地 | 静岡県浜松市天竜区・長野県飯田市 |
| 座標 | 北緯35度16分28秒 東経137度55分45秒 / 北緯35.27444度 東経137.92917度座標: 北緯35度16分28秒 東経137度55分45秒 / 北緯35.27444度 東経137.92917度 |
| 標高 | 1,165 m |
| 通過路 |
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兵越峠(ひょうごしとうげ)は、静岡県浜松市天竜区と長野県飯田市の間にある標高1,165 mの峠である。ヒョー越または兵越(ひょうごえ)とも表記される。また飯田市南信濃地区では、「ひょうこしとうげ」と濁らずに呼んでいる。
毎年10月の第4日曜日に、この峠を会場として「峠の国盗り綱引き合戦」という行事が行われる。
地理
[編集]長野県道369号・静岡県道412号南信濃水窪線および浜松市道水窪白倉川線(旧兵越林道)がこの峠を通過しており、国道152号の青崩峠部分の車道が未開通のため、その迂回路として利用されている[1]。
三遠南信自動車道はこの峠の下をトンネルで通過する予定だったが、付近の地盤が極めて脆弱であることがのちの調査で判明したため、先だって開通していた草木トンネルとともに同自動車道のルートから外された。
名前の表記と由来
[編集]高森町在住の研究者によると、かつてこの峠は「ヒョー越」と呼ばれており、「兵越」の漢字表記が使われるようになったのは峠の国盗り綱引き合戦が開催されるようになった1980年代以降である[2]。峠が位置する天竜区の水窪地区ではかつて町おこしのために漢字表記を当てていたが、「ヒョー越」の表記に戻す動きがある[2]。
「兵越峠」の名称は、武田信玄の軍勢が西上作戦の折にこの峠を越えたことに由来するという説がある[1]が、実際には信玄はこの峠を通っておらず、通過したのは山県昌景が率いる別働隊であったという研究が歴史学者の本多隆成によって提唱されている[3]。
このほか、明治時代またはそれ以前から、遠山郷で伐採された材木を運ぶ「ヒョウ(日傭)」と呼ばれる日雇い労働者が静岡側からこの峠を越えて働きに来ていたことが由来とする説[2]や、「背負う」の方言「ひょう」から来たという説がある[1]。また民俗学者の谷川健一は、かつて境界を示すのに使われていた木を「標(ひょう)」と呼んでおり、峠が国境や村境であることが多かったために峠の呼称に転用されたとする説を唱えている[2]。