「高重氏」の版間の差分

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| 時代 = [[鎌倉時代]]
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| 生誕 = 不詳
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| 死没 = [[弘安]]4年([[1281年]])~[[弘安]]7年([[1284年]])
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| 官位 =
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| 主君 = [[足利頼氏|頼氏]]、[[足利家時|家時]]
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| 父母 = 父:[[高惟重]]
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'''高 重氏'''(こう の しげうじ)は、[[鎌倉時代]]の[[武将]]。[[足利氏]]の家臣。[[高師直]]の曽祖父。
'''高 重氏'''(こう の しげうじ)は、[[鎌倉時代]]の[[武将]]。[[足利氏]]の家臣。[[高師直]]の曽祖父。
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[[弘安]]4年([[1281年]])11月5日付の重氏の発給文書([[尊経閣文庫]]所蔵『[[武家手鑑]]』所収)が、[[高氏]]の[[足利氏]][[執事]]としての活動を確認できる現存最古の史料であり{{sfn|亀田|2015|loc=師直の先祖たち}}、遅くとも彼の代から足利氏執事を世襲していったのだろうと考えられる{{sfn|亀田|2015|loc=師直の先祖たち}}。
[[弘安]]4年([[1281年]])11月5日付の重氏の発給文書([[尊経閣文庫]]所蔵『[[武家手鑑]]』所収)が、[[高氏]]の[[足利氏]][[執事]]としての活動を確認できる現存最古の史料であり{{sfn|亀田|2015|loc=師直の先祖たち}}、遅くとも彼の代から足利氏執事を世襲していったのだろうと考えられる{{sfn|亀田|2015|loc=師直の先祖たち}}。


[[弘安]]9年([[1286年]])に師氏が執事として活動していて、これ以前には亡くなっていたと推測される。
[[弘安]]7年([[1284年]])に子の師氏が[[足利家時|家時]]が自害た際の置文を預かっていて、これ以前には亡くなっていたと推測される。


[[歌人]]としても有名で、宇都宮[[歌壇]](地方歌壇で、[[宇都宮頼綱]]と[[宇都宮朝業|朝業]]の兄弟に始まる)に連なることで知られていた。
[[歌人]]としても有名で、[[宇都宮歌壇]]に連なることで知られていた。


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2020年7月25日 (土) 03:45時点における版

 
高 重氏
時代 鎌倉時代
生誕 不詳
死没 弘安4年(1281年)~弘安7年(1284年)
主君 足利頼氏家時
氏族 高氏
父母 父:高惟重
師氏重長頼基
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高 重氏(こう の しげうじ)は、鎌倉時代武将足利氏の家臣。高師直の曽祖父。

生涯

足利頼氏家時執事として仕える。

弘安4年(1281年)11月5日付の重氏の発給文書(尊経閣文庫所蔵『武家手鑑』所収)が、高氏足利氏執事としての活動を確認できる現存最古の史料であり[1]、遅くとも彼の代から足利氏執事を世襲していったのだろうと考えられる[1]

弘安7年(1284年)に子の師氏が家時が自害した際の置文を預かっていて、これ以前には亡くなっていたと推測される。

歌人としても有名で、宇都宮歌壇に連なることで知られていた。

脚注

  1. ^ a b 亀田 2015, 師直の先祖たち.