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*5代目笑福亭光鶴 - 後の'''[[笑福亭枝鶴 (5代目)|5代目笑福亭枝鶴]]'''。
*5代目笑福亭光鶴 - 後の'''[[笑福亭枝鶴 (5代目)|5代目笑福亭枝鶴]]'''。


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== 3代目 ==
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2020年5月23日 (土) 03:16時点における版

五枚笹は、笑福亭一門の定紋である。

笑福亭 光鶴(しょうふくてい こかく)は、上方落語名跡5代目笑福亭松鶴の前名であったため、以降は笑福亭の出世名となる。5代目笑福亭枝鶴の廃業後は、空き名跡となっている。

初代

初代 笑福亭光鶴1869年 - ?)は、後の笑福亭梅香(檀辻光蔵)。享年不詳。


3代目 笑福亭しょうふくてい 光鶴こかく
本名 池田 熊吉
生年月日 不詳年
没年月日 1936年1月17日
出身地 日本の旗 日本
師匠 桂三路
4代目笑福亭松鶴
名跡 三笑
3代目笑福亭光鶴
活動期間 1915年 - 1936年?
活動内容 上方落語
所属 新桂派
反対派
三友派
吉本

3代目 笑福亭光鶴(? - 1936年1月17日)は、本名: 池田熊吉。享年不詳。

1915年1916年ころに初め新桂派の桂三路(後の2代目三遊亭圓若)の門下で三笑と名乗る。反対派三友派等に移った後、1921年4代目笑福亭松鶴の門下に移り、3代目光鶴を襲名。三友派では若手連「民衆落語研究会」に参加。吉本と互壊してからは兄弟子の5代目松鶴らと共に1926年に「花月ピクニック」なる噺家グループを組織し、若手として活躍。晩年は漫才が主流になり不遇の時代が続いた。大正時代にはSPレコードも吹き込んでいる。得意ネタは「せむし茶屋」「くっしゃみ講釈」が得意だった。

出典

  • 『古今東西落語家事典』(平凡社、1989年)
  • 『古今東西噺家紳士録』