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== 名前の語源 == |
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サンムラマートは[[シャムシ・アダド5世]]の妻であり、シャムシ・アダド5世が紀元前811年に亡くなった後、息子[[アダド・ニラリ3世]]が成人するまでの5年間、新アッシリア帝国の摂政として、国を統治した<ref name="britannica">{{Cite encyclopedia|title=Sammu-ramat (queen of Assyria)|url=http://www.britannica.com/EBchecked/topic/520556/Sammu-ramat|accessdate=2013-01-04}}</ref>。サンムラマートは政治的に不安定な時期に摂政の職に就いており、(通常、女性が支配者になることはは考えられなかったにもかかわらず)アッシリア人がサンムラマートによる統治を受け入れた一つの理由としてありうるのが、この政治的不安定性である。アシュールの街には、サンムラマートのために建てられたオベリスクがあり、そこには以下のように刻まれている。 |
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サンムラマートの息子が[[アダド・ニラリ3世]]であり、孫が[[シャルマネセル4世]]である<ref>Georges Roux: ''Ancient Iraq'', Penguin Books, [[ロンドン|London]] 1992, {{ISBN2|0-14-012523-X}}, page 302.</ref>。 |
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== セミラミス == |
== セミラミス == |
2019年9月28日 (土) 18:11時点における版
サンムラマート | |
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アッシリアの王妃 | |
新アッシリア帝国の摂政 | |
在位期間 811 BC – 808 BCまたは809 BC - 792 BC | |
先代 | シャムシ・アダド5世 |
次代 | アダド・ニラリ3世 |
配偶者 | シャムシ・アダド5世 |
子女 アダド・ニラリ3世 |
サンムラマート(SammurāmatまたはSammuramāt)は、紀元前811〜808年のアッシリアの摂政である[1]。ギリシャ神話におけるバビロンの女王セミラミスのモデルとなった人物とされている[2]。
名前の語源
サンムラマートの名前は、アッシリアの文書ではMÍsa -am-mu-ra-matと綴られている。シケリアのディオドロス(II 4.6)はこれをΣεμιραμιςまたはΣεμιραμιςとギリシア文字で綴り、この名前は「シリア語」(おそらくアッシリア語)の「鳩」を意味し、アッカド語のsummatuまたはsummuから派生したことを示すと主張した。(ユダヤ教)のラビらは、この名前をšmy rʿm、「天の雷」と理解していた。 現代の歴史学者M. Weinfeldは、この名前はフェニキア語(šmm rmm、「高い天国」)に由来すると示唆している。Jamie Novotnyは、この名前は言語構造的には西半球またはアッカドのいずれからも由来しうるものであり、前者の場合原型はDN-rāmu/rāmat("DNは称揚された")であり、後者の場合原型はDN-ramāt("DNは愛された")であるが、いずれの場合も、名前の最初の部分は神の名前に由来すると考えるべきであると指摘した。 もしこの名前が西半球の言語に由来する場合、この名前の前半はšammuであった可能性があり(西半球で用いられていた/š/は、新アッシリアでは/s/に置き換えられたため)、このようにこの部分が新アッシリアにおけるsammuであった場合には、dSa(-a-)mu(「赤」を意味する)の神の名前からの派生であった可能性がある[3]。
生涯
サンムラマートはシャムシ・アダド5世の妻であり、シャムシ・アダド5世が紀元前811年に亡くなった後、息子アダド・ニラリ3世が成人するまでの5年間、新アッシリア帝国の摂政として、国を統治した[1]。サンムラマートは政治的に不安定な時期に摂政の職に就いており、(通常、女性が支配者になることはは考えられなかったにもかかわらず)アッシリア人がサンムラマートによる統治を受け入れた一つの理由としてありうるのが、この政治的不安定性である。アシュールの街には、サンムラマートのために建てられたオベリスクがあり、そこには以下のように刻まれている。
宇宙の王でありアッシリアの王であるシャムシ・アダドの王妃であり、宇宙の王でありアッシリアの王であるアダド・ニラリの母であり、世界の四つの地域の王であるシャルマネセルの義理の娘である、サンムラマートの石碑 [4]
サンムラマートの息子がアダド・ニラリ3世であり、孫がシャルマネセル4世である[5]。
セミラミス
伝説の女王セミラミスは、通常、神話上の人物に過ぎないと考えられている。しかし、アッシリアの記録には、セミラミスが、実際はサンムラマートをギリシャ語化させたものである可能性があることを示唆する証拠がある。もっとも、このような同一視には異論もある。別の可能性として、サンムラマートが死後、シュメール神にあやかった称号を与えられたのではないかということが指摘されている。女性でありながら統治をうまく行うことができたことで、アッシリア人はサンムラマートに特別な敬意をもったと推測され、サンムラマートの統治の成果(破壊的な内戦後の帝国の安定と強化を含む)が世代を超えて語り継がれたため、最終的にサンムラマートは神話上の人物になったと考えられる[4]。ジョルジュ・ルーは、後のギリシア人とイラン人(ペルシャ人とメディア人)がセミラミスの神話をつくりあげたのは、サンムラマートがこれらの民族に対し軍事的な成功を収めたことと、そのような帝国を支配する女性が目新しかったことによると推測している[6]。
関連項目
出典
- ^ a b Sammu-ramat (queen of Assyria). 引用エラー: 無効な
<ref>
タグ; name "britannica"が異なる内容で複数回定義されています - ^ 橋川裕之および村田光司 (2013). “プロコピオス『秘史』──翻訳と註(1)”. 早稲田大学高等研究所紀要 (5): 81-108.
- ^ Novotny, Jamie (2004). Baker, Heather D.. ed. Sammu-rāmat or Sammu-ramāt. Helsinki: The Neo-Assyrian Text Corpus Project. 1083-1084. ISBN 951-45-9056-2
- ^ a b “Sammu-Ramat and Semiramis: The Inspiration and the Myth”. Ancient History Encyclopedia. 2016年4月13日閲覧。
- ^ Georges Roux: Ancient Iraq, Penguin Books, London 1992, ISBN 0-14-012523-X, page 302.
- ^ Georges Roux - Ancient Iraq