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'''[[ビザンティン建築]]'''(ビザンティンけんちく、{{lang-en|Byzantine Architecture}})は、[[東ローマ帝国]](ビザンツ帝国、ビザンティン帝国)の勢力下で興った[[建築]]様式である。[[4世紀]]頃には帝国の特恵宗教である[[キリスト教]]の儀礼空間を形成し、そのいくつかは大幅な補修を受けているものの今日においても[[正教会]]の[[聖堂]]、あるいは[[イスラム教]]の[[モスク]]として利用されている。日本では、'''ビザンツ建築'''と呼ばれる場合もある。 |
'''[[ビザンティン建築]]'''(ビザンティンけんちく、{{lang-en|Byzantine Architecture}})は、[[東ローマ帝国]](ビザンツ帝国、ビザンティン帝国)の勢力下で興った[[建築]]様式である。[[4世紀]]頃には帝国の特恵宗教である[[キリスト教]]の儀礼空間を形成し、そのいくつかは大幅な補修を受けているものの今日においても[[正教会]]の[[聖堂]]、あるいは[[イスラム教]]の[[モスク]]として利用されている。日本では、'''ビザンツ建築'''と呼ばれる場合もある。 |
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キリスト教の布教活動とともに、[[ブルガリア]]や[[セルビア]]などの東欧の東ローマ帝国の勢力圏のみならず[[ロシア]]あるいは[[アルメニア]]や[[ジョージア (国)|ジョージア]]など[[西アジア]]にも浸透していった。その影響力は緩やかなもので、地域の工法・技術と融合しながら独自の様式を発展させた。また、初期の[[イスラーム建築]]にも影響を与えている。 |
キリスト教の布教活動とともに、[[ブルガリア]]や[[セルビア]]などの東欧の東ローマ帝国の勢力圏のみならず[[ロシア]]あるいは[[アルメニア]]や[[ジョージア (国)|ジョージア]]など[[西アジア]]にも浸透していった。その影響力は緩やかなもので、地域の工法・技術と融合しながら独自の様式を発展させた。また、初期の[[イスラーム建築]]にも影響を与えている。 |
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2019年5月29日 (水) 15:53時点における最新版
ビザンティン建築(ビザンティンけんちく、英語: Byzantine Architecture)は、東ローマ帝国(ビザンツ帝国、ビザンティン帝国)の勢力下で興った建築様式である。4世紀頃には帝国の特恵宗教であるキリスト教の儀礼空間を形成し、そのいくつかは大幅な補修を受けているものの今日においても正教会の聖堂、あるいはイスラム教のモスクとして利用されている。日本では、ビザンツ建築と呼ばれる場合もある。
ローマ建築円熟期の優れた工学・技術を継承し、早い段階で技術的成熟に達するが、その後、東ローマ帝国の国力の衰退と隆盛による影響はあるものの、発展することも急速に衰退することもなく存続した。
キリスト教の布教活動とともに、ブルガリアやセルビアなどの東欧の東ローマ帝国の勢力圏のみならずロシアあるいはアルメニアやジョージアなど西アジアにも浸透していった。その影響力は緩やかなもので、地域の工法・技術と融合しながら独自の様式を発展させた。また、初期のイスラーム建築にも影響を与えている。