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'''川本 三郎'''(かわもと さぶろう、[[1944年]] - )は[[評論家]]。[[東京都]]出身。
'''川本 三郎'''(かわもと さぶろう、[[1944年]] - )は[[評論家]]。[[東京都]]出身。


[[麻布学園]]から[[東京大学]][[法学部]]を卒業後、一年間の就職浪人生活を経て、二度目の受験で[[朝日新聞社]]に入社。『[[週刊朝日]]』編集部を経て『[[朝日ジャーナル]]』記者になったが、[[1971年]]秋、[[朝霞市|朝霞]]の[[自衛官]]殺害事件([[赤衛軍事件]])で指名手配中の犯人を密かに面会取材。犯人が[[宮沢賢治]]について語り、ギター片手に[[クリーデンスクリアウォーター・リヴァヴァル]]の"Have You Ever Seen The Rain?"を歌う姿に接して個人的なシンパシーを持つに至り、アジビラ作成を手伝った挙句、犯人から証拠品(自衛官が殺害された時に着用していた腕章と、犯行時に使用された隊員ズボン)を譲り受け、これを焼却。[[1971年]]11月19日に犯人が逮捕されると川本の行為が司直の知るところとなり、[[1972年]][[1月9日]]には川本もまた[[逮捕]]され、会社は懲戒免職となり、[[1972年]][[9月27日]]、浦和地裁にて[[懲役]]10ヶ月、[[執行猶予]]2年の有罪判決を受けた。この事件の経緯は、自伝的な『マイ・バック・ページ-ある60年代の物語』に詳しい。以来、フリーの立場で文筆活動に専念。『大正幻影』で[[サントリー学芸賞]]、『荷風と東京』で[[読売文学賞]]、『林芙美子の昭和』で[[毎日出版文化賞]]と[[桑原武夫学芸賞]]をそれぞれ受賞。
[[麻布学園]]から[[東京大学]][[法学部]]を卒業後、一年間の就職浪人生活を経て、二度目の受験で[[朝日新聞社]]に入社。『[[週刊朝日]]』編集部を経て『[[朝日ジャーナル]]』記者になったが、[[1971年]]秋、[[朝霞市|朝霞]]の[[自衛官]]殺害事件([[赤衛軍事件]])で指名手配中の犯人を密かに面会取材。犯人が[[宮沢賢治]]について語り、ギター片手に[[クリーデンスクリアウォーター・リル]]の "Have You Ever Seen The Rain?" を歌う姿に接して個人的なシンパシーを持つに至り、アジビラ作成を手伝った挙句、犯人から証拠品(自衛官が殺害された時に着用していた腕章と、犯行時に使用された隊員ズボン)を譲り受け、これを焼却。[[1971年]]11月19日に犯人が逮捕されると川本の行為が司直の知るところとなり、[[1972年]][[1月9日]]には川本もまた[[逮捕]]され、会社は懲戒免職となり、1972年[[9月27日]]、浦和地裁にて[[懲役]]10ヶ月、[[執行猶予]]2年の有罪判決を受けた。この事件の経緯は、自伝的な『マイ・バック・ページ-ある60年代の物語』に詳しい。以来、フリーの立場で文筆活動に専念。『大正幻影』で[[サントリー学芸賞]]、『荷風と東京』で[[読売文学賞]]、『林芙美子の昭和』で[[毎日出版文化賞]]と[[桑原武夫学芸賞]]をそれぞれ受賞。


その他の著作には『都市の感受性』、『映画を見ればわかること』、『この映画見た?』、『本のちょっとの話』、『ロードショーが150円だった頃』など多数あり、[[文芸]]・[[映画]]・[[都市]]などジャンルが幅広い評論家である。
その他の著作には『都市の感受性』、『映画を見ればわかること』、『この映画見た?』、『本のちょっとの話』、『ロードショーが150円だった頃』など多数あり、[[文芸]]・[[映画]]・[[都市]]などジャンルが幅広い評論家である。

2006年8月6日 (日) 06:42時点における版

川本 三郎(かわもと さぶろう、1944年 - )は評論家東京都出身。

麻布学園から東京大学法学部を卒業後、一年間の就職浪人生活を経て、二度目の受験で朝日新聞社に入社。『週刊朝日』編集部を経て『朝日ジャーナル』記者になったが、1971年秋、朝霞自衛官殺害事件(赤衛軍事件)で指名手配中の犯人を密かに面会取材。犯人が宮沢賢治について語り、ギター片手にクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの "Have You Ever Seen The Rain?" を歌う姿に接して個人的なシンパシーを持つに至り、アジビラ作成を手伝った挙句、犯人から証拠品(自衛官が殺害された時に着用していた腕章と、犯行時に使用された隊員ズボン)を譲り受け、これを焼却。1971年11月19日に犯人が逮捕されると川本の行為が司直の知るところとなり、1972年1月9日には川本もまた逮捕され、会社は懲戒免職となり、1972年9月27日、浦和地裁にて懲役10ヶ月、執行猶予2年の有罪判決を受けた。この事件の経緯は、自伝的な『マイ・バック・ページ-ある60年代の物語』に詳しい。以来、フリーの立場で文筆活動に専念。『大正幻影』でサントリー学芸賞、『荷風と東京』で読売文学賞、『林芙美子の昭和』で毎日出版文化賞桑原武夫学芸賞をそれぞれ受賞。

その他の著作には『都市の感受性』、『映画を見ればわかること』、『この映画見た?』、『本のちょっとの話』、『ロードショーが150円だった頃』など多数あり、文芸映画都市などジャンルが幅広い評論家である。