「トム・スコット (ミュージシャン)」の版間の差分
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作曲家で編曲家のネイザン・スコットを父に、ピアニストの母を持つ。9歳の時[[ベニー・グッドマン]]等の影響でクラリネットを演奏し始める。12歳の時にスクール・バンドに入り、バリトン・サックスを担当、独学で作曲、編曲を学ぶ。伝説的なサックス奏者[[ジョン・コルトレーン]]に影響され自己スタイルを築く。1968年に初ソロ作''"Honeysuckle Breeze"''を[[インパルス!レコード]]より発表。1970年になると[[ボブ・シール]]([[:en:Bob Thiele|Bob Thiele]])創立のフライング・ダッチマン(Flying Dutchman Records)に移籍。 |
作曲家で編曲家のネイザン・スコットを父に、ピアニストの母を持つ。9歳の時[[ベニー・グッドマン]]等の影響でクラリネットを演奏し始める。12歳の時にスクール・バンドに入り、バリトン・サックスを担当、独学で作曲、編曲を学ぶ。伝説的なサックス奏者[[ジョン・コルトレーン]]に影響され自己スタイルを築く。1968年に初ソロ作''"Honeysuckle Breeze"''を[[インパルス!レコード]]より発表。1970年になると[[ボブ・シール]]([[:en:Bob Thiele|Bob Thiele]])創立のフライング・ダッチマン(Flying Dutchman Records)に移籍。 |
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1973年にL.A.エクスプレスを結成し、アルバム『[[:en:Tom Scott and The L.A. Express|Tom Scott and The L.A. Express]]』を発表。 |
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1978年には[[ブルース・ブラザーズ]]のオリジナルメンバーとして参加。1981年には若い頃の[[マーカス・ミラー]]や[[リチャード・ティー]]等ニューヨーク勢のミュージシャンと共演したライヴアルバム''"[[アップル・ジュース (アルバム)|Apple Juice]]"''を[[コロムビア・レコード]]より発表。1980年代後半になると[[GRPレコード]]に移籍、1992年にGRP創設10周年記念として結成した[[GRPレコード#GRPオールスタービッグバンド|GRPオールスタービッグバンド]]に参加。1994年にGRPの創設者[[デイヴ・グルーシン]]と[[ラリー・ローゼン]]([[:en:Larry Rosen (producer)|Larry Rosen]])が離れ、レーベルの方針が変わってきたために[[ウィンダム・ヒル・レコード|ウィンダム・ヒル・ジャズ]]に移籍、しかしウィンダム・ヒルはジャズ部門を閉鎖する事になり、[[ハイアー・オクターヴ]]に移籍する。 |
1978年には[[ブルース・ブラザーズ]]のオリジナルメンバーとして参加。1981年には若い頃の[[マーカス・ミラー]]や[[リチャード・ティー]]等ニューヨーク勢のミュージシャンと共演したライヴアルバム''"[[アップル・ジュース (アルバム)|Apple Juice]]"''を[[コロムビア・レコード]]より発表。1980年代後半になると[[GRPレコード]]に移籍、1992年にGRP創設10周年記念として結成した[[GRPレコード#GRPオールスタービッグバンド|GRPオールスタービッグバンド]]に参加。1994年にGRPの創設者[[デイヴ・グルーシン]]と[[ラリー・ローゼン]]([[:en:Larry Rosen (producer)|Larry Rosen]])が離れ、レーベルの方針が変わってきたために[[ウィンダム・ヒル・レコード|ウィンダム・ヒル・ジャズ]]に移籍、しかしウィンダム・ヒルはジャズ部門を閉鎖する事になり、[[ハイアー・オクターヴ]]に移籍する。 |
2017年9月19日 (火) 06:42時点における版
トム・スコット | |
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生誕 | 1948年5月19日(75歳) |
出身地 | アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス |
ジャンル | ウェストコースト・ジャズ、フュージョン |
担当楽器 | サックス |
トム・スコット(Tom Scott 1948年5月19日-)はアメリカ合衆国ロサンゼルス出身の、ウェスト・コースト・ジャズ、フュージョンを代表するサックス奏者で作曲家、編曲家。10回以上グラミー賞にノミネートされており、3度受賞してもいる。
バイオグラフィ
作曲家で編曲家のネイザン・スコットを父に、ピアニストの母を持つ。9歳の時ベニー・グッドマン等の影響でクラリネットを演奏し始める。12歳の時にスクール・バンドに入り、バリトン・サックスを担当、独学で作曲、編曲を学ぶ。伝説的なサックス奏者ジョン・コルトレーンに影響され自己スタイルを築く。1968年に初ソロ作"Honeysuckle Breeze"をインパルス!レコードより発表。1970年になるとボブ・シール(Bob Thiele)創立のフライング・ダッチマン(Flying Dutchman Records)に移籍。
1973年にL.A.エクスプレスを結成し、アルバム『Tom Scott and The L.A. Express』を発表。
1974年、ジョージ・ハリスンとジョニ・ミッチェルのツアーに参加。後者は『マイルズ・オブ・アイルズ』としてレコード化された。1975年にはポール・マッカートニーのシングル「あの娘におせっかい」の間奏でソロを取った。このようにジャズのみならず、ロックやポップスの分野にも範囲を広く持つ。この他ジャズ以外での分野では、ホイットニー・ヒューストン、バーブラ・ストライサンド、スティーリー・ダンやクインシー・ジョーンズ等と共演している。
1978年にはブルース・ブラザーズのオリジナルメンバーとして参加。1981年には若い頃のマーカス・ミラーやリチャード・ティー等ニューヨーク勢のミュージシャンと共演したライヴアルバム"Apple Juice"をコロムビア・レコードより発表。1980年代後半になるとGRPレコードに移籍、1992年にGRP創設10周年記念として結成したGRPオールスタービッグバンドに参加。1994年にGRPの創設者デイヴ・グルーシンとラリー・ローゼン(Larry Rosen)が離れ、レーベルの方針が変わってきたためにウィンダム・ヒル・ジャズに移籍、しかしウィンダム・ヒルはジャズ部門を閉鎖する事になり、ハイアー・オクターヴに移籍する。
ディスコグラフィ
アルバム
タイトル | 発売年 | 注釈 | |
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"Honeysuckle Breeze" | 1968 | Impulse | |
"Rural Still Life" | 1969 | Impulse | |
"Hair To Jazz" | 1970 | Flying Dutchman | |
"Paint Your Wagon" | 1971 | Flying Dutchman | |
"Great Scott" | 1972 | A&M | |
"Tom Scott & L.A. Express" | 1974 | Ode | |
"Tom Cat" | 1975 | Ode | |
"New York Connection" | 1976 | Ode | |
"Blow It Out" | 1977 | Epic/Ode | |
"Intimate Strangers" | 1978 | Columbia | |
"Street Beat" | 1979 | Columbia | |
"Apple Juice" | 1981 | Columbia | |
"Desire" | 1982 | Electra Musician | |
"Target" | 1985 | Atlantic | |
"One Night, One Day" | 1986 | Soundwings | |
"Streamlines" | 1987 | GRP | |
"Flashpoint" | 1988 | GRP | |
"Them Changes" | 1990 | GRP | |
"Keep This Love Alive" | 1991 | GRP | |
"Born Again" | 1992 | GRP | |
"Reed My Lips" | 1994 | GRP | |
"Night Creatures" | 1995 | GRP | |
"Bluestreak (with L.A. Express)" | 1996 | GRP | |
"Priceless Jazz" | 1997 | GRP | |
"Smokin Section" | 1999 | Windham Hill Jazz | |
"Newfound Freedom" | 2003 | Higher Octave | |
"BeBop United" | 2006 | MCG Jazz | |
"The Very Best of Tom Scott" | 2006 | GRP | |
Cannon Re-Loaded | 2006 | Concord Jazz |
TV出演
- 『東京JAZZ2011』 (NHK BSプレミアム)2011年10月15日