「ヴァッラブバーイー・パテール」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
MomijiRoBot (会話 | 投稿記録)
m Bot: 元首 = [​[ラージェーンドラ・プラサード]​]<br /> → 元首 = [​[ラージェーンドラ・プラサード]​] , Removed break in Template value ends ∵Check Wikipedia #59
27行目: 27行目:
|退任理由 = 死去
|退任理由 = 死去
|元首職 = [[インドの大統領|大統領]]
|元首職 = [[インドの大統領|大統領]]
|元首 = [[ラージェーンドラ・プラサード]]<br />
|元首 = [[ラージェーンドラ・プラサード]]
|国旗2 = IND
|国旗2 = IND
|職名2 = 内務大臣
|職名2 = 内務大臣

2016年10月4日 (火) 18:35時点における版

ヴァッラブバーイー・パテール
વલ્લભભાઈ પટેલ
Vallabhbhai Patel
ヴァッラブバーイー・パテール
生年月日 1875年10月31日
出生地 イギリス領インド帝国
Nadiad(現グジャラート州
没年月日 (1950-12-15) 1950年12月15日(75歳没)
死没地 インドの旗 インドボンベイ
前職 弁護士
所属政党 インド国民会議

インドの旗 初代副首相
内閣 ジャワハルラール・ネルー内閣
在任期間 1947年8月15日 - 1950年12月15日
大統領 ラージェーンドラ・プラサード

インドの旗 内務大臣
内閣 ジャワハルラール・ネルー内閣
在任期間 1947年8月15日 - 1950年12月15日
テンプレートを表示

"サルダール"[1]・ヴァッラブバーイー・パテールグジャラート語:વલ્લભભાઈ પટેલ、1875年10月31日1950年12月15日)はインド政治家インド国民会議所属。法廷弁護士でもあった。ジャワハルラール・ネルー初代首相の下で副首相内務大臣を務め、インド・パキスタン分離独立に際しては多くの藩王国を巧みな手腕でインドに帰属させ、インドの鉄の男インドのビスマルクと呼ばれた。

関連項目

脚注

  1. ^ ヒンディー語ウルドゥー語ペルシャ語で「チーフ」を意味する尊称