「金策市」の版間の差分
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22洞・22里を管轄する。 |
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* 錦川洞(クムチョンドン) |
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* 蓮湖洞(リョノドン) |
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* 城南洞(ソンナムドン) |
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* 松嶺一洞(ソンリョンイルトン) |
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* 松嶺二洞(ソンリョンイドン) |
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* 松巌洞(ソンアムドン) |
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* 水源洞(スウォンドン) |
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* 新坪洞(シンピョンドン) |
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* 双龍洞(サンリョンドン) |
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* 双岩一洞(サンアミルトン) |
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* 双岩二洞(サンアミドン) |
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* 双化洞(サンファドン) |
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* 業億洞(オボクトン) |
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* 駅前洞(ヨクチョンドン) |
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* 将峴洞(チャンヒョンドン) |
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* 製鋼一洞(チェガンイルトン) |
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* 製鋼二洞(チェガンイドン) |
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* 青鶴洞(チョンハクトン) |
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* 炭素洞(タンソドン) |
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* 鶴城洞(ハクソンドン) |
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* 漢泉洞(ハンチョンドン) |
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* 海岸洞(ヘアンドン) |
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* 徳仁里(トギンリ) |
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* 東興里(トンフンリ) |
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* 龍湖里(リョンホリ) |
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* 臨溟里(リンミョンリ) |
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* 晩春里(マンチュンリ) |
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* 放鶴里(パンハンリ) |
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* 上坪里(サンピョンリ) |
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* 石湖里(ソコリ) |
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* 城上里(ソンサンリ) |
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* 細川里(セチョンリ) |
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* 松中里(ソンジュンリ) |
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* 松興里(ソンフンリ) |
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* 水洞里(スドンリ) |
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* 玉泉里(オクチョンリ) |
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* 院坪里(ウォンピョンリ) |
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* 恩湖里(ウノリ) |
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* 春洞里(チュンドンリ) |
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* 塔下里(タパリ) |
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* 豊年里(プンニョンリ) |
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* 鶴東里(ハクトンリ) |
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* 湖通里(ホトンリ) |
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* 興坪里(フンピョンリ) |
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== 歴史 == |
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== 交通 == |
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*[[平羅線]] |
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== 教育 == |
== 教育 == |
2015年10月16日 (金) 04:17時点における版
金策市 | |
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位置 | |
各種表記 | |
ハングル: | 김책시 |
漢字: | 金策市 |
発音: | キムチェクシ |
日本語読み: | きんさくし |
ローマ字転写: | Kimch'aek-si |
金策市(キムチェクし)は、朝鮮民主主義人民共和国咸鏡北道南部にある都市。旧称は城津(ソンジン/성진)。北朝鮮における製鉄業の中心地の一つである。
市名は、当地生まれの朝鮮人民軍司令官・金策(1951年に死去)にちなみ、1953年に改名された。
地理・気候
市の南側は日本海に面している。中心市街は、半円を描く城津湾の西に面している。気候は海に面しているために内陸ほどは寒くない。夏は比較的涼しい。
金策(1981〜2010)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
日平均気温 °C (°F) | −4.2 (24.4) |
−2.1 (28.2) |
2.0 (35.6) |
7.8 (46) |
12.4 (54.3) |
16.0 (60.8) |
20.0 (68) |
22.3 (72.1) |
18.0 (64.4) |
12.3 (54.1) |
5.2 (41.4) |
−1.1 (30) |
9.05 (48.28) |
降水量 mm (inch) | 19.2 (0.756) |
21.5 (0.846) |
28.7 (1.13) |
46.6 (1.835) |
48.3 (1.902) |
96.3 (3.791) |
119.9 (4.72) |
138.4 (5.449) |
92.3 (3.634) |
45.3 (1.783) |
39.2 (1.543) |
25.1 (0.988) |
720.8 (28.377) |
出典:気象庁[1] |
金策 1961 - 1990年平均の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
日平均気温 °C (°F) | −5.3 (22.5) |
−3.8 (25.2) |
0.9 (33.6) |
7.0 (44.6) |
11.8 (53.2) |
15.5 (59.9) |
20.1 (68.2) |
22.1 (71.8) |
17.8 (64) |
11.8 (53.2) |
4.6 (40.3) |
−2.2 (28) |
8.36 (47.05) |
出典:World Climate Kimchaek, North Korea[2] |
行政区画
22洞・22里を管轄する。
|
|
歴史
近代以前
古代は高句麗と渤海の地であり、女真族の活動した時期を経て、13世紀に元の領土となった。14世紀後半、元の滅亡にともなってこの地は高麗の統治下に入り、吉州の管轄下となった。1398年、朝鮮王朝によって城津鎮が設置された。
近代
1898年、咸鏡北道吉州郡の城津鎮周辺および咸鏡南道端川郡の一部をあわせ、城津郡が設置された。1899年4月、開港にともない城津府が置かれたが、その後吉州郡に統合され、行政区域としては安定しなかった。1903年に吉州郡から城津郡が分割・再設置、1906年に城津府に昇格した。城津府は1910年10月1日に城津郡に降格された[3]。1910年時点で、鶴上・鶴南・鶴中・鶴西・鶴東の5面が存在した。1920年、港や駅を中心とする地域に城津面が新設された。
日本統治下において、1930年代後半以降重工業化が進められ、1937年には日本高周波重工業城津製鉄所が操業を開始した。1939年には城津面が邑に昇格、1943年には城津邑が城津府に昇格した。城津府が成立して郡を離脱するのにともない、旧城津郡は鶴城郡に改名した。
第二次世界大戦後
第二次世界大戦後、城津府は城津市に改名した。
朝鮮戦争では城津も大きな被害を受けた。1951年1月、この地で生まれた朝鮮人民軍司令官・金策が死去すると、1953年にその栄誉を記念し、鶴城郡が金策郡に、城津市が金策市に改名された。
1952年に行われた行政区画再編により、金策郡の6里が金策市に編入、7里が咸鏡南道広泉郡(現・端川市の一部)に編入された。再編された金策郡は、鶴東面・鶴中面・鶴西面の全域と、鶴城面の一部(14里)で、金策邑は旧鶴城面鶴城里に置かれた(1邑23里)。なお、金策郡の邑はその後1953年から54年にかけての一時期、臨溟里に移転している。
1961年、金策郡は金策市に編入された。
2002年現在、22洞22里が存在する。
交通
教育
- 金策空軍大学
産業
日本統治時代から重工業が発展し、城津製鋼所(旧・日本高周波重工業城津製鉄所)などの大工場なども多い。製鉄業は同国随一であり、とくに特殊鋼の生産でも同国最大の都市である。また、水産業は東海岸最大を誇る。農業は果樹類の生産が多い。
備考
- 日本気象協会の天気図用紙では、他の朝鮮半島の地名は近年すべて朝鮮語読みに変更されたにも関わらず、当地は「ジョーシン」と旧称の日本語読みで記載されている。
- 金策製鉄所と金策航空大学は金策市ではなく清津市に、金策工業総合大学も同じく平壌市に所在する。
注
- ^ “平年値データ キムチェク(金策)”. 気象庁 (2013年4月). 2013年4月2日閲覧。
- ^ “Kimchaek, North Korea Climate Normals 1961-1990”. World Climate Home. 2013年4月1日閲覧。
- ^ 明治43年10月1日朝鮮総督府令第7号による。『朝鮮総督府官報』第29号p. 14(明治43年10月1日)参照。
外部リンク
- (朝鮮語) 中央日報北韓ネット・北韓地名辞典 金策市
- (朝鮮語) 北韓地域情報ネット・行政区域情報館 金策市
吉州郡 | ||||
端川市(咸鏡南道) | 花台郡 | |||
金策市 | ||||