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== あらすじ ==
== あらすじ ==
[[メルボルン]]に生まれたデイヴィッドは、厳格な父親の元、ピアニストになるべく英才教育を受けていた。天才少年と呼ばれた彼の元に、イギリスの王立音楽院に留学する話が持ち上がる、父親がそれを許さなかったため、家を飛び出す形でロンドンに渡る。ロンドンでピアノに打ち込むデイヴィッドは、コンクールで難関である[[セルゲイ・ラフマニノフ|ラフマニノフ]]の「[[ピアノ協奏曲第3番 (ラフマニノフ)|ピアノ協奏曲第3番]]」に挑戦し、見事に弾いたものの、その後精神に異常をきたし始める。
[[メルボルン]]に生まれたデイヴィッドは、厳格な父親の元、ピアニストになるべく英才教育を受けていた。才能を発揮し、天才少年と呼ばれた彼は、アメリカ留学話を薦められるが、父親が経済的な理由と、自分から離れていく事をよしとせず断ってしまう。しかし、コンクールでの演奏が評価され、イギリスの王立音楽院に奨学金で留学する話が持ち上がる、父親の反対に逆い、家を飛び出す形でロンドンに渡る。ロンドンでピアノに打ち込むデイヴィッドは、コンクールで難関である[[セルゲイ・ラフマニノフ|ラフマニノフ]]の「[[ピアノ協奏曲第3番 (ラフマニノフ)|ピアノ協奏曲第3番]]」に挑戦し、見事に弾いたものの、その後精神に異常をきたし始める。地元に戻り精神病院に入り、一進一退が続くが、療養所の女性に引き取られて退院し、ある日バーでピアノを弾き始め、それが新聞で話題に上り、再び演奏家の道を歩もうとし始める。


== キャスト ==
== キャスト ==

2015年4月4日 (土) 10:19時点における版

シャイン
Shine
監督 スコット・ヒックス
脚本 ジャン・サーディ
原案 スコット・ヒックス
製作 ジェーン・スコット
出演者 ジェフリー・ラッシュ
ノア・テイラー
アーミン・ミューラー=スタール
音楽 デヴィッド・ハーシュフェルダー
撮影 ジェフリー・シンプソン
編集 ピップ・カーメル
配給 日本の旗 KUZUIエンタープライズ
公開 オーストラリアの旗 1996年8月15日
日本の旗 1997年3月22日
上映時間 105分
製作国 オーストラリアの旗 オーストラリア
言語 英語
製作費 550万$
興行収入 $35,892,330[1]
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シャイン』(Shine)は、1996年公開のオーストラリア映画。監督はスコット・ヒックスで、脚本はジャン・サーディ。実在のピアニストであるデイヴィッド・ヘルフゴットを演じた主演のジェフリー・ラッシュ第69回アカデミー賞主演男優賞をはじめ多数の映画賞を受賞した。

あらすじ

メルボルンに生まれたデイヴィッドは、厳格な父親の元、ピアニストになるべく英才教育を受けていた。才能を発揮し、天才少年と呼ばれた彼は、アメリカ留学の話を薦められるが、父親が経済的な理由と、自分から離れていく事をよしとせず断ってしまう。しかし、コンクールでの演奏が評価され、イギリスの王立音楽院に奨学金で留学する話が持ち上がると、父親の反対に逆い、家を飛び出す形でロンドンに渡る。ロンドンでピアノに打ち込むデイヴィッドは、コンクールで難関であるラフマニノフの「ピアノ協奏曲第3番」に挑戦し、見事に弾いたものの、その後精神に異常をきたし始める。地元に戻り精神病院に入り、一進一退が続くが、療養所の女性に引き取られて退院し、ある日バーでピアノを弾き始め、それが新聞で話題に上り、再び演奏家の道を歩もうとし始める。

キャスト

役名 俳優 日本語吹替
デイヴィッド・ヘルフゴット ジェフリー・ラッシュ 山寺宏一
デイヴィッド・ヘルフゴット(青年期) ノア・テイラー 家中宏
デイヴィッド・ヘルフゴット(少年期) アレックス・ラファロウィッツ 三浦斗夢
ピーター・ヘルフゴット アーミン・ミューラー=スタール 有川博
ギリアン リン・レッドグレイヴ 小宮和枝
セシル・パーカー ジョン・ギールグッド 納谷悟朗
  • 日本語吹替は過去に発売されたVHS・旧盤DVDにのみ収録。

受賞/ノミネート

  • アカデミー賞
    • 受賞:主演男優賞
    • ノミネート:作品賞、監督賞、助演男優賞、脚本賞、音楽賞、編集賞
  • ゴールデングローブ賞
    • 受賞:主演男優賞(ドラマ部門)
    • ノミネート:作品賞(ドラマ部門)、監督賞、脚本賞、音楽賞
  • 英国アカデミー賞
    • 受賞:主演男優賞、音響賞
    • ノミネート:作品賞、助演男優賞、助演女優賞、監督賞、脚本賞、作曲賞

エピソード

  • 演奏はヘルフゴット自身が行なっており、手のみのシーンは本人のもの[2]
  • 主役を演じたジェフリー・ラッシュは、14歳までピアノを習っており、この映画のために数十年ぶりに練習を再開した[3]
  • 映画化に当たって、ヘルフゴットの家族や幼少期の関係者たちへの取材はまったくなく、公開後、映画を観た家族や関係者から、映画は事実に反したでっちあげであるとして抗議の声が上がった。姉のマーガレットは1998年に、関係者の証言を集めた抗議の本"Out of Tune: David Helfgott and the Myth of Shine"を出版し、父親は映画に描かれたような暴君ではなく、デイヴィッドともうまくいっており、デイヴィッドの精神的な病気は家系的なもの(叔母も同じ病気)であると主張した。また、父親はホロコースト時にはオーストラリアにいたこと、デイヴッドは精神病院に入る前に別の女性と結婚していたこと、バーのピアノ弾きの仕事は姉が紹介したことなどを明らかにした[4]

参考文献

外部リンク

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