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'''裳着'''(もぎ)は、[[平安時代]]から[[安土桃山時代]]([[皇族]]、貴族は[[明治時代]])にかけて女子の[[成人]]を示すものとして行われた[[通過儀礼]](男子の[[元服]]に相当)。成人した女子にはじめて'''[[裳]]'''を着せるもので、'''着裳'''(ちゃくも)とも称する。年齢は一定しないが概ね12-16歳(ただし[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に於いては[[政略結婚]]に備えて8-10歳位に繰り上がった)。
'''裳着'''(もぎ)は、[[平安時代]]から[[安土桃山時代]]([[皇族]]、貴族は[[明治時代]])にかけて女子の[[成人]]を示すものとして行われた[[通過儀礼]](男子の[[元服]]に相当)。成人した女子にはじめて'''[[裳]]'''を着せるもので、'''着裳'''(ちゃくも)とも称する。年齢は一定しないが概ね12-16歳(ただし[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に於いては[[政略結婚]]に備えて8-10歳位に繰り上がった)。


一人前の女性になったことを示すもので、結婚させるべき親の意思表示である。裳を着せる役の者を腰結(こしゆい)と称し、徳望のあるものから選ばれる。また、日取りは吉日が選ばれ、裳の腰紐を結び、[[髪上げ]]をする。また、「鉄漿親(かねおや)<ref>「鉄漿付け親(かねつけおや)」とも</ref>の立ち会いのもと、初めて[[お歯黒]]を付け、眉を剃り、[[厚化粧]]をして殿上眉を描く([[引眉]])。これ以降、[[小袖]]は白、[[袴]]は緋(ただし江戸時代以降は結婚まで引き続き濃紫)となる。
一人前の女性になったことを示すもので、結婚させるべき親の意思表示である。裳を着せる役の者を腰結(こしゆい)と称し、徳望のあるものから選ばれる。また、日取りは吉日が選ばれ、裳の腰紐を結び、[[髪上げ]]をする。また、「鉄漿親(かねおや)<ref>「鉄漿付け親(かねつけおや)」とも</ref>の立ち会いのもと、初めて[[お歯黒]]を付け、眉を剃り、[[厚化粧]]をして殿上眉を描く([[引眉]])。これ以降、[[小袖]]は白、[[袴]]は緋(ただし江戸時代以降は結婚まで引き続き濃紫)となる。


[[江戸時代]]以降、武家と庶民は男性同様[[元服]]と称し、年齢も、18-20歳位、または結婚と同時に行うようになった。
[[江戸時代]]以降、武家と庶民は男性同様[[元服]]と称し、年齢も、18-20歳位、または結婚と同時に行うようになった。

2015年1月11日 (日) 05:01時点における版

裳着(もぎ)は、平安時代から安土桃山時代皇族、貴族は明治時代)にかけて女子の成人を示すものとして行われた通過儀礼(男子の元服に相当)。成人した女子にはじめてを着せるもので、着裳(ちゃくも)とも称する。年齢は一定しないが概ね12-16歳(ただし戦国時代に於いては政略結婚に備えて8-10歳位に繰り上がった)。

一人前の女性になったことを示すもので、結婚させるべき親の意思表示である。裳を着せる役の者を腰結(こしゆい)と称し、徳望のあるものから選ばれる。また、日取りは吉日が選ばれ、裳の腰紐を結び、髪上げをする。また、「鉄漿親(かねおや)[1]」の立ち会いのもと、初めてお歯黒を付け、眉を剃り、厚化粧をして殿上眉を描く(引眉)。これ以降、小袖は白、は緋(ただし江戸時代以降は結婚まで引き続き濃紫)となる。

江戸時代以降、武家と庶民は男性同様元服と称し、年齢も、18-20歳位、または結婚と同時に行うようになった。

脚注

  1. ^ 「鉄漿付け親(かねつけおや)」とも

関連項目