「伏見街道」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
m編集の要約なし
4行目: 4行目:


== 大津街道 ==
== 大津街道 ==
[[江戸幕府]]が[[参勤交代]]の西国大名と[[朝廷]]との接触を嫌い、[[東海道]]の[[大津宿]]と[[京街道]]の[[伏見宿 (京街道)|伏見宿]]との間に京都を通らず、追分から[[山科盆地]]を南下し、[[勧修寺]]から[[伏見稲荷大社|稲荷山]]の南麓・深草大亀谷に抜ける街道をつくった。現在の[[滋賀県道・京都府道35号大津淀線]]である。
[[江戸幕府]]が[[参勤交代]]の西国大名と[[朝廷]]との接触を嫌い、[[東海道]]の[[大津宿]]と[[京街道]]の[[伏見宿 (京街道)|伏見宿]]との間に京都を通らず、追分から[[山科盆地]]を南下し、[[勧修寺]]から[[伏見稲荷大社|稲荷山]]の南麓に抜ける街道をつくった。現在の[[滋賀県道・京都府道35号大津淀線]]である。


[[Category:街道|ふしみ]]
[[Category:街道|ふしみ]]

2006年4月20日 (木) 04:07時点における版

伏見街道(ふしみかいどう)は、豊臣秀吉伏見京都五条)の間に造った街道東福寺伏見稲荷大社の前を通り、伏見に到る。現在は京阪本線がほぼ並行している。

途中の藤森付近で大津街道と分岐している。

大津街道

江戸幕府参勤交代の西国大名と朝廷との接触を嫌い、東海道大津宿京街道伏見宿との間に京都を通らず、追分から山科盆地を南下し、勧修寺から稲荷山の南麓に抜ける街道をつくった。現在の滋賀県道・京都府道35号大津淀線である。