「ペリリュー島」の版間の差分

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北東に[[カープ島]]や[[ロックアイランド]]をはさんで旧首都[[コロール島]]や現首都[[バベルダオブ島]]があり、南西には[[アンガウル島]]が存在する。面積はおおよそ13km<sup>2</sup>、標高は最大で50m。[[ペリリュー州]]に属しており、同州の住民の多くがこの島に居住しており、州の中心でもある。島内にはKloulklubed、Ongeuldel、Imelechol、Lademisangの4つの村落があるが、Lademisang以外は北部に集中しており、多くの住民がKloulklubedに居住する。
北東に[[カープ島]]や[[ロックアイランド]]をはさんで旧首都[[コロール島]]や現首都[[バベルダオブ島]]があり、南西には[[アンガウル島]]が存在する。面積はおおよそ13km<sup>2</sup>、標高は最大で50m。[[ペリリュー州]]に属しており、同州の住民の多くがこの島に居住しており、州の中心でもある。島内にはKloulklubed、Ongeuldel、Imelechol、Lademisangの4つの村落があるが、Lademisang以外は北部に集中しており、多くの住民がKloulklubedに居住する。


==日本との関係==
[[第二次世界大戦]]時には[[太平洋戦争]]の[[マリアナ・パラオ諸島の戦い]]において[[ペリリューの戦い]]の中心地となり激しい戦闘が行われ<ref>なお、同時期に南西の[[アンガウル島]]でも[[アンガウルの戦い]]が行われている。</ref>、旧[[日本軍]]の[[歩兵第2連隊|歩兵第2]]・[[歩兵第15連隊|第15連隊]]は壊滅した。島内で決戦を行った日米軍の遺構が多く残され、多くの[[戦車]]や[[LVT]]、[[零式艦上戦闘機|零戦]]などの[[航空機]]、破壊された停泊中の艦船や上陸用舟艇、兵士の持っていた水筒、ヘルメットなどが島内に点在しているほか、現地民間人等の戦没者墓苑がある。今日の島の植生は主に戦闘によって焼失したあとに再生したものであり、戦争の傷跡を癒している。
[[第二次世界大戦]]時には[[太平洋戦争]]の[[マリアナ・パラオ諸島の戦い]]において[[ペリリューの戦い]]の中心地となり激しい戦闘が行われ<ref>なお、同時期に南西の[[アンガウル島]]でも[[アンガウルの戦い]]が行われている。</ref>、旧[[日本軍]]の[[歩兵第2連隊|歩兵第2]]・[[歩兵第15連隊|第15連隊]]は壊滅した。島内で決戦を行った日米軍の遺構が多く残され、多くの[[戦車]]や[[LVT]]、[[零式艦上戦闘機|零戦]]などの[[航空機]]、破壊された停泊中の艦船や上陸用舟艇、兵士の持っていた水筒、ヘルメットなどが島内に点在しているほか、現地民間人等の戦没者墓苑がある。今日の島の植生は主に戦闘によって焼失したあとに再生したものであり、戦争の傷跡を癒している。

2014年現在、天皇皇后の[[行啓]]が計画されており、2015年4月に島の南端にある慰霊碑「西太平洋戦没者の碑」を訪問する予定<ref>{{Cite news|url=http://mainichi.jp/feature/koushitsu/news/20141212k0000m040141000c.html|title=皇室:パラオ・ペリリュー島 両陛下の訪問を歓迎|work=毎日新聞|newspaper=毎日新聞社|date=2014-12-12|accessdate=2014-12-13}}</ref>。


== 交通 ==
== 交通 ==

2014年12月13日 (土) 08:17時点における版

地図

ペリリュー島(Peleliu Island)はパラオの一。パラオ諸島の主要な島のひとつで、パラオの主要諸島の南西部に位置する。ペレリウ、ペリリユウなどとも。

北東にカープ島ロックアイランドをはさんで旧首都コロール島や現首都バベルダオブ島があり、南西にはアンガウル島が存在する。面積はおおよそ13km2、標高は最大で50m。ペリリュー州に属しており、同州の住民の多くがこの島に居住しており、州の中心でもある。島内にはKloulklubed、Ongeuldel、Imelechol、Lademisangの4つの村落があるが、Lademisang以外は北部に集中しており、多くの住民がKloulklubedに居住する。

日本との関係

第二次世界大戦時には太平洋戦争マリアナ・パラオ諸島の戦いにおいてペリリューの戦いの中心地となり激しい戦闘が行われ[1]、旧日本軍歩兵第2第15連隊は壊滅した。島内で決戦を行った日米軍の遺構が多く残され、多くの戦車LVT零戦などの航空機、破壊された停泊中の艦船や上陸用舟艇、兵士の持っていた水筒、ヘルメットなどが島内に点在しているほか、現地民間人等の戦没者墓苑がある。今日の島の植生は主に戦闘によって焼失したあとに再生したものであり、戦争の傷跡を癒している。

2014年現在、天皇皇后の行啓が計画されており、2015年4月に島の南端にある慰霊碑「西太平洋戦没者の碑」を訪問する予定[2]

交通

船や航空機があり、チャーターでの利用のほか、船は週に2度程度の頻度で定期便が出ている。飛行場としては太平洋戦争当時から存在する日本軍が整備したペリリュー飛行場が利用されている。港は北部に存在するが、水深が浅いために寄港できるのは小型の舟に限られており、日本は港湾の整備のために無償資金協力を行っている[3]。第二次世界大戦時には北に隣接するガドブス島とは橋で結ばれていたが、戦闘で失われ現在はない。

観光

ガドブス島などに近い北西の海域がパラオでも有数のダイビングスポットであるほか、第二次世界大戦時の戦跡や戦没者墓苑などが存在する。同島中央部にはペリリュー神社が存在する。

ギャラリー

関連項目