「ユーリ・ノルシュテイン」の版間の差分
Greeneyes3 (会話 | 投稿記録) いくつか細かい修正 (ローマナイズの別表記、国籍と民族をわかりやすく、地名の誤記修正 他) |
|||
10行目: | 10行目: | ||
[[1987年]]に行われた、第2回[[広島国際アニメーションフェスティバル]]の審査員として初来日した際に、同じく審査員だった[[手塚治虫]]からサインを求められ、[[ベレー帽]]をかぶった[[ハリネズミ]]の色紙を描いた。 |
[[1987年]]に行われた、第2回[[広島国際アニメーションフェスティバル]]の審査員として初来日した際に、同じく審査員だった[[手塚治虫]]からサインを求められ、[[ベレー帽]]をかぶった[[ハリネズミ]]の色紙を描いた。 |
||
[[2014年]]のロシア[[ソチオリンピック]]では、[[ソチオリンピックの開会式|開会式]]で「ロシアを代表するモチーフ」の一つとして『[[霧につつまれたハリネズミ]]』が取り上げらている。 |
|||
== 作風、受けた影響 == |
== 作風、受けた影響 == |
2014年5月21日 (水) 01:31時点における版
ユーリ・ボリソヴィチ・ノルシュテイン(Юрий Борисович Норштейн、ラテン文字表記の例:Yuriy Borisovich Norshteyn / Yuri B. Norstein、1941年9月15日 – )は、主にセルロイドに緻密に描き込まれた切り絵を用いる短編アニメーション映画などで知られる映像作家である。ソ連→ロシア国籍の東欧系ユダヤ人である。
略歴
第二次世界大戦戦時下に、疎開先のペンザ州ゴロヴィンシチェンスキー地区アンドレエフカ村で生まれた。1943年にモスクワに戻る。
家具職人をしていたが、1959年に、ソユーズムリトフィルム連邦動画スタジ付属のアニメーターコースに入学。
卒業後、ソユーズムリトフィルムで、『せむしのこうま(イワンの仔馬)』『森は生きている』などのイワン・イワノフ=ワノや、『ミトン』『チェブラーシカ』などで知られるロマン・カチャーノフなどに師事する。アニメーションの声優として参加もした。
1987年に行われた、第2回広島国際アニメーションフェスティバルの審査員として初来日した際に、同じく審査員だった手塚治虫からサインを求められ、ベレー帽をかぶったハリネズミの色紙を描いた。
2014年のロシアソチオリンピックでは、開会式で「ロシアを代表するモチーフ」の一つとして『霧につつまれたハリネズミ』が取り上げらている。
作風、受けた影響
セルゲイ・エイゼンシュテインに強く影響され、モンタージュ技法を好んで使う。
好きなアニメーション作家は、フレデリック・バック、ノーマン・マクラレン、川本喜八郎、個人的にも交流の深い高畑勲など。ディズニー作品も、小さな頃から好きである。
CGアニメーションを嫌っており、人間の想像力を疎外したものからは、何も生まれないと苦言を呈している。
『老人と海』で知られるアレクサンドル・ペトロフとは、師弟である。
彼へのパロディ、トリビュート
手塚治虫は『アドルフに告ぐ』において、ナチに射殺されるユダヤ人ヴァイオリニストの名前に彼の名を借用した。また、手塚は単行本ではカットしているが自作の漫画「火の鳥」の太陽編で『話の話』に登場する狼を雑誌掲載時に1コマだけ出演させている。
ミシェル・ゴンドリーはビョークのヒューマン・ビヘイビャーのミュージック・ヴィデオで霧につつまれたハリネズミのモチーフを引用した。
大地丙太郎は『十兵衛ちゃん2-シベリア柳生の逆襲-』に、彼の『霧につつまれたハリネズミ』のハリネズミを模したキャラクタを登場させた。同作品ではノルシュテイン自身がマスコットキャラの声優として出演している。
作品
- 1968年 - 『25日・最初の日』
- 1971年 - 『ケルジェネツの戦い』
- 1973年 - 『狐と兎 』
- 1974年 - 『あおさぎと鶴』
- 1975年 - 『霧につつまれたハリネズミ』
- 1979年 - 『話の話』
- 1980年~現在 - ゴーゴリ原作の、『外套』を、幾度か中断しながらも製作中。
- 1995年 - 『ロシア砂糖のTVコマーシャル』
- 1999年 - 『おやすみなさいこどもたち』
- 2003年 - 『冬の日』(アニメーション作家35名による合作)
外部リンク
- ユーリー・ノルシュテインの仕事 ユーリー・ノルシュテイン情報サイト