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'''大越史記全書'''([[ベトナム語]]:'''Đại Việt sử ký toàn thư''')は、[[ベトナム]]で編纂された[[漢文]]による[[編年体]]の[[歴史書]]である。
'''大越史記全書'''(Đại Việt sử ký toàn thư)は、[[ベトナム]]で編纂された[[漢文]]による[[編年体]]の[[歴史書]]である。


== 成立の過程 ==
== 成立の過程 ==
[[1479年]]に[[黎朝]]の[[皇帝]]である[[黎聖宗]]の命令を受けた史官の[[呉士連]](ゴー・シー・リエン)によって編纂された。[[1272年]]に[[陳朝]]の[[黎文休]](レ・ヴァン・フー)が編纂した『大越史記』、[[1455年]]に[[潘孚先]](ファム・コン・チュー)が編修した『史記続編』を元にしている。
[[1479年]]に[[黎朝]]の[[皇帝]]である[[黎聖宗]]の命令を受けた史官の[[呉士連]](ゴー・シー・リエン)によって編纂された。[[1272年]]に[[陳朝]]の黎文休(レ・ヴァン・フー)が編纂した『大越史記』、[[1455年]]に潘孚先(ファム・コン・チュー)が編修した『史記続編』を元にしている。


建国神話から[[十二使君の乱]]までを記述した外記全書5巻、[[968年]]の[[丁朝]]の建国者である[[丁部領]]の即位から[[1427年]]に[[明]]朝の支配が終結するまでの時代を記述した本紀全書10巻の計15巻から成る。呉士連が『大越史記全書』を献上した後、編者不明の『本紀実録』6巻([[1428年]]から[[1532年]])、[[1665年]]の范公著による『本紀続編』3巻([[1533年]]から[[1662年]])が編纂された<ref name="sakai">酒井「大越史記全書」『アジア歴史事典』6巻、10頁</ref>。
建国神話から[[十二使君の乱]]までを記述した外記全書5巻、[[968年]]の[[丁朝]]の建国者である[[丁部領]]の即位から[[1427年]]に[[明]]朝の支配が終結するまでの時代を記述した本紀全書10巻の計15巻から成る。呉士連が『大越史記全書』を献上した後、編者不明の『本紀実録』6巻([[1428年]]から[[1532年]])、[[1665年]]の范公著による『本紀続編』3巻([[1533年]]から[[1662年]])が編纂された<ref name="sakai">酒井「大越史記全書」『アジア歴史事典』6巻、10頁</ref>。


[[1655年]]に范公著は呉士連が編纂した15巻に『本紀実録』と『本紀続編』の9巻を加えた24巻を『大越史記全書』としてするが、頒布には至らなかった<ref>『合本 大越史記全書』上、9頁</ref>。[[1697年]]([[正和 (黎朝)|正和]]18年)に黎僖が『本紀続編』追加1巻(1662年 - [[1675年]])を加えた25巻を出版、黎僖の正和本が現存する最古の刊本である<ref name="wada">和田「大越史記」『ベトナムの事典』、191頁</ref><ref>『合本 大越史記全書』上、9-10頁</ref>。その後も[[黎朝]]末まで編纂が続けられ、1675年以後の歴史を記した『大越史記続編』という写本が数種存在する<ref name="kawamoto">川本「大越史記全書」『新版 東南アジアを知る事典』、249頁</ref>。
[[1655年]]に范公著は呉士連が編纂した15巻に『本紀実録』と『本紀続編』の9巻を加えた24巻を『大越史記全書』としてするが、頒布には至らなかった<ref>『合本 大越史記全書』上、9頁</ref>。[[1697年]]([[正和 (黎朝)|正和]]18年)に黎僖が『本紀続編』追加1巻(1662年 - [[1675年]])を加えた25巻を出版、黎僖の正和本が現存する最古の刊本である<ref name="wada">和田「大越史記」『ベトナムの事典』、191頁</ref><ref>『合本 大越史記全書』上、9-10頁</ref>。その後も[[黎朝]]末まで編纂が続けられ、1675年以後の歴史を記した『大越史記続編』という写本が数種存在する<ref name="kawamoto">川本「大越史記全書」『新版 東南アジアを知る事典』、249頁</ref>。


正和本、[[西山朝]][[景盛]]8年刊本([[1800年]])、[[阮朝]]の[[フエ]]国子監覆刻本([[1828年]]以降)、引田利章校訂鉛活字本([[1884年]])、東洋学文献センター合本([[1984年]])の5種が現存する<ref name="wada"/>。
正和本、[[西山朝]][[景盛]]8年刊本([[1800年]])、[[阮朝]]の[[フエ]]国子監覆刻本([[1828年]]以降)、引田利章校訂鉛活字本([[1884年]])、東洋学文献センター合本([[1984年]])の5種が現存する<ref name="wada"/>。


20世紀末までは引田本が通行本として使われていたが、[[1972年]]より[[陳荊和]]が合本の作成に着手した<ref name="kou-pre">『合本 大越史記全書』上、刊行の辞・まえがき</ref>。[[1978年]][[8月]]、[[コレージュ・ド・フランス]]教授ドミエヴィル(戴密微)が所蔵する15冊の完本が最も古い版と判明する<ref name="kou-pre"/>。ドミエヴィルの完本を元にして1984年に東洋学文献センター合本が出版され、新たな通行本とされ<ref name="kawamoto"/>。後に東洋学文献センター合本は、[[ベトナム語]]にも訳される。
20世紀末までは引田本が通行本として使われていたが、1972年より[[陳荊和]]が合本の作成に着手した<ref name="kou-pre">『合本 大越史記全書』上、刊行の辞・まえがき</ref>。1978年8月、[[コレージュ・ド・フランス]]教授ドミエヴィル(戴密微)が所蔵する15冊の完本が最も古い版と判明する<ref name="kou-pre"/>。ドミエヴィルの完本を元にして1984年に東洋学文献センター合本が出版され、新たな通行本とされ<ref name="kawamoto"/>。後に東洋学文献センター合本は、[[ベトナム語]]にも訳される。


== 特徴 ==
== 特徴 ==
呉士連が編纂に取り掛かった経緯については、君命によるものか、自発的に編纂を試みたのか判明していない<ref>『合本 大越史記全書』上、8頁</ref>。
呉士連が編纂に取り掛かった経緯については、君命によるものか、自発的に編纂を試みたのか判明していない<ref>『合本 大越史記全書』上、8頁</ref>。


丁朝建国前の中国王朝の統治下に置かれていた時期は主に[[資治通鑑]]などの中国で編纂された史書の記述に拠っているが、独立王朝建国以後の記述はベトナムで編纂された史料も参照されている<ref name="sakai"/>。
丁朝建国前の中国王朝の統治下に置かれていた時期は主に[[資治通鑑]]などの中国で編纂された史書の記述に拠っているが、独立王朝建国以後の記述はベトナムで編纂された史料も参照されている<ref name="sakai"/>。
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* 酒井良樹「大越史記全書」『アジア歴史事典』6巻収録(平凡社、1959年)
* 酒井良樹「大越史記全書」『アジア歴史事典』6巻収録(平凡社、1959年)
* [[和田正彦]]「大越史記」『ベトナムの事典』収録([[同朋舎]]、1999年6月)
* [[和田正彦]]「大越史記」『ベトナムの事典』収録([[同朋舎]]、1999年6月)
* 『合本 大越史記全書』上([[陳荊和]]編校、[[東京大学東洋文化研究所|東京大學東洋文化研究所]]附属東洋學文献センター、1984年)
* 『合本 大越史記全書』上([[陳荊和]]編校、[[東京大学東洋文化研究所|東京大學東洋文化研究所]]附属東洋學文献センター、1984年)


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2014年4月20日 (日) 04:49時点における版

大越史記全書正和本の表紙
交合本 大越史記全書

大越史記全書(Đại Việt sử ký toàn thư)は、ベトナムで編纂された漢文による編年体歴史書である。

成立の過程

1479年黎朝皇帝である黎聖宗の命令を受けた史官の呉士連(ゴー・シー・リエン)によって編纂された。1272年陳朝の黎文休(レ・ヴァン・フー)が編纂した『大越史記』、1455年に潘孚先(ファム・コン・チュー)が編修した『史記続編』を元にしている。

建国神話から十二使君の乱までを記述した外記全書5巻、968年丁朝の建国者である丁部領の即位から1427年朝の支配が終結するまでの時代を記述した本紀全書10巻の計15巻から成る。呉士連が『大越史記全書』を献上した後、編者不明の『本紀実録』6巻(1428年から1532年)、1665年の范公著による『本紀続編』3巻(1533年から1662年)が編纂された[1]

1655年に范公著は呉士連が編纂した15巻に『本紀実録』と『本紀続編』の9巻を加えた24巻を『大越史記全書』としてするが、頒布には至らなかった[2]1697年正和18年)に黎僖が『本紀続編』追加1巻(1662年 - 1675年)を加えた25巻を出版、黎僖の正和本が現存する最古の刊本である[3][4]。その後も黎朝末まで編纂が続けられ、1675年以後の歴史を記した『大越史記続編』という写本が数種存在する[5]

正和本、西山朝景盛8年刊本(1800年)、阮朝フエ国子監覆刻本(1828年以降)、引田利章校訂鉛活字本(1884年)、東洋学文献センター交合本(1984年)の5種が現存する[3]

20世紀末までは引田本が通行本として使われていたが、1972年より陳荊和が交合本の作成に着手した[6]。1978年8月、コレージュ・ド・フランス教授ドミエヴィル(戴密微)が所蔵する15冊の完本が最も古い版と判明する[6]。ドミエヴィルの完本を元にして1984年に東洋学文献センター交合本が出版され、新たな通行本とされ[5]。後に東洋学文献センター交合本は、ベトナム語にも訳される。

特徴

呉士連が編纂に取り掛かった経緯については、君命によるものか、自発的に編纂を試みたのか判明していない[7]

丁朝建国前の中国王朝の統治下に置かれていた時期は主に資治通鑑などの中国で編纂された史書の記述に拠っているが、独立王朝建国以後の記述はベトナムで編纂された史料も参照されている[1]

脚注

  1. ^ a b 酒井「大越史記全書」『アジア歴史事典』6巻、10頁
  2. ^ 『交合本 大越史記全書』上、9頁
  3. ^ a b 和田「大越史記」『ベトナムの事典』、191頁
  4. ^ 『交合本 大越史記全書』上、9-10頁
  5. ^ a b 川本「大越史記全書」『新版 東南アジアを知る事典』、249頁
  6. ^ a b 『交合本 大越史記全書』上、刊行の辞・まえがき
  7. ^ 『交合本 大越史記全書』上、8頁

参考文献

  • 川本邦衛「大越史記全書」『新版 東南アジアを知る事典』収録(平凡社、2008年6月)
  • 酒井良樹「大越史記」『アジア歴史事典』6巻収録(平凡社、1959年)
  • 酒井良樹「大越史記全書」『アジア歴史事典』6巻収録(平凡社、1959年)
  • 和田正彦「大越史記」『ベトナムの事典』収録(同朋舎、1999年6月)
  • 『交合本 大越史記全書』上(陳荊和編校、東京大學東洋文化研究所附属東洋學文献センター、1984年)

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