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画像:堀川水源3.jpg|暗渠から地上に現れた放水口部分
画像:堀川水源3.jpg|暗渠から地上に現れた放水口部分
画像:堀川水源1.jpg|復活した水流
画像:堀川水源1.jpg|復活した水流
File:Horikawa1.jpg|堀川第一橋下流、京都市電の橋台跡
File:Horikawa2.jpg|堀川第一橋付近、排水溝の跡


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2014年2月22日 (土) 07:02時点における版

一条戻り橋

堀川(ほりかわ)は京都府京都市を流れる淀川水系の河川

地理

堀川の本来の源流は北区船岡山東麓だが、現在この付近の水流は暗渠化されており、地表に水流は見られない。今出川通の南で地表に現れ、堀川通の東に沿って南下する。一条通一条戻り橋はこの区間にある。二条城前の押小路通から南は再び暗渠となり、西本願寺の東でわずかに地上に現れるほかは堀川通の地下を流れる。近鉄京都線上鳥羽口駅の西で開渠となり、すぐに鴨川と合流する。2009年3月に琵琶湖疏水の分流を通水するまで鴨川との合流直前を除きほとんど水は流れていなかった。

歴史

平安京造営以前には、古烏丸谷(現在の烏丸通付近)や古堀川谷(堀川通付近)に自然の河川が流れていたと推測されている。平安京造営にあたって、これらの川を改修して堀川小路に沿う運河としたのが堀川の起源である。なお、この堀川がもともとの賀茂川(鴨川)本流の流路であり、平安京の造営に当たって今の賀茂川(鴨川)の流路に人為的につけ替えたという説(鴨川つけかえ説)があり、かつて通説となっていたが現在は否定されている。

また、朱雀大路を挟んで対称の位置には西堀河(現在の紙屋川)が作られた。平安時代には物資の運搬のほか、貴族の庭園に水を引くためにも用いられた。後には農業用水や友禅染などにも用いられるようになった。江戸時代の地図には四条堀川から西側に向けて分流の四条川が描かれているが平成の現在ではその姿を見ることは出来ない。

第二次世界大戦後の下水道の整備などにより、水流はほぼ消滅した。昭和後期までは堀川今出川の南の露出地点から堀川五条交差点まで堀川を挟んで東に細い東堀川通(南進一方通行)と広い南北各2車線の堀川通があったが、大雨が降るたびに合流式下水管から溢れた水が堀川に流れ込み(暗渠が始まる)五条堀川付近で堀川が溢れ近隣では床下浸水の被害を度々受けた。この為、五条通から御池通までの間も暗渠化され御池通以南の東堀川通は堀川通と一体化した。また川底には大きな礫が敷き詰められていたが夏季に雑草が生い茂り景観を損ねるため、露出部分の川床はコンクリートで固められた。

堀川水辺環境整備事業

堀川の今出川通から二条城までの開渠部に水流を復活させ、親水公園として整備する事業が京都市によって進められた。琵琶湖疏水分線から賀茂川をサイフォンでくぐり、紫明通、堀川通の地下に導水路を設けて水を引く。二条城から下流では二条城の外堀を経て西高瀬川に放水する。2002年度から事業が始まり、2009年3月29日に通水式典が行われるとともに通水が開始され、事業が終結した。京都市公式サイトによると事業費は18億円とされる[1]

関連項目

脚注

  1. ^ 堀川水辺環境整備事業/京都市

外部リンク