「エ・テメン・アン・キ」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
1行目: | 1行目: | ||
{{coor title dms|32|32|11|N|44|25|15|E|}} |
{{coor title dms|32|32|11|N|44|25|15|E|}} |
||
'''エ・テメン・アン・キ'''([[シュメール語]]:'''É.TEMEN.AN.KI'''、'''Etemenanki''')は[[メソポタミア]]文明の中でも最古の文化を築いたと言われる[[シュメール]]人が、[[紀元前 |
'''エ・テメン・アン・キ'''([[シュメール語]]:'''É.TEMEN.AN.KI'''、'''Etemenanki''')(「天と地の基礎となる建物」という意味)は、[[メソポタミア]]文明の中でも最古の文化を築いたと言われる[[シュメール]]人が建設を開始し、工事が中断していた物を、[[紀元前7世紀]]の[[新バビロニア|新バビロニア王国]]時代に、[[ナボポラッサル]]王が再建に着手し、[[ネブカドネザル2世]]王の時に完成した、[[バビロン]]の[[マルドゥク]][[神殿]]の中心部に築かれた[[ジッグラト]](聖塔)のこと。 |
||
現代の学者(Stephen L. Harris、[[カリフォルニア州立大学]]サクラメント校)などによれば、[[旧約聖書]]「[[創世記]]」の[[バベルの塔]]の[[挿話]]は、[[バビロン捕囚]]時代に、エテメンアンキに影響されたと考えられている。 |
現代の学者(Stephen L. Harris、[[カリフォルニア州立大学]]サクラメント校)などによれば、[[旧約聖書]]「[[創世記]]」の[[バベルの塔]]の[[挿話]]は、[[バビロン捕囚]]時代に、エテメンアンキに影響されたと考えられている。 |
||
底面 |
底面約91m×約91m、高さ約90mの7階建てであり、現在は遺構がわずかに残る。 |
||
== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
2013年11月28日 (木) 06:26時点における版
座標: 北緯32度32分11秒 東経44度25分15秒 / 北緯32.53639度 東経44.42083度
エ・テメン・アン・キ(シュメール語:É.TEMEN.AN.KI、Etemenanki)(「天と地の基礎となる建物」という意味)は、メソポタミア文明の中でも最古の文化を築いたと言われるシュメール人が建設を開始し、工事が中断していた物を、紀元前7世紀の新バビロニア王国時代に、ナボポラッサル王が再建に着手し、ネブカドネザル2世王の時に完成した、バビロンのマルドゥク神殿の中心部に築かれたジッグラト(聖塔)のこと。
現代の学者(Stephen L. Harris、カリフォルニア州立大学サクラメント校)などによれば、旧約聖書「創世記」のバベルの塔の挿話は、バビロン捕囚時代に、エテメンアンキに影響されたと考えられている。
底面約91m×約91m、高さ約90mの7階建てであり、現在は遺構がわずかに残る。
参考文献
- 清水義範「ああ知らなんだこんな世界史」、毎日新聞社、2006、ISBN4-620-31776-4