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'''奥村 栄親'''(おくむら てるちか、[[文政]]8年([[1825年]]) - [[弘化]]年[[9月5日 (旧暦)|9月5日]]([[1844年]][[10月16日]]))は、[[加賀藩]]人持組頭加賀八家奥村宗家第12代当主。
'''奥村 栄親'''(おくむら てるちか、[[文政]]8年([[1825年]]) - [[天保]]15年[[9月5日 (旧暦)|9月5日]]([[1844年]][[10月16日]]))は、[[加賀藩]]人持組頭加賀八家奥村宗家第12代当主。


父は[[奥村栄実]]。養子は[[奥村栄通]]。幼名元松丸、純松丸。通称助十郎。
父は[[奥村栄実]]。養子は[[奥村栄通]]。幼名元松丸、純松丸。通称助十郎。


文政8年(1825年)加賀藩家老奥村栄実の子として金沢に生まれる。[[天保]]14年([[1843年]])父栄実の死去により家督と遺知1万7000石を相続。弘化元年(1844年)9月5日没。享年20。家督は分家[[奥村質直]]の八男栄通が[[末期養子]]となって相続した。
文政8年(1825年)加賀藩家老奥村栄実の子として金沢に生まれる。[[天保]]14年([[1843年]])父栄実の死去により家督と遺知1万7000石を相続。天保15年(1844年)9月5日没。享年20。家督は分家[[奥村質直]]の八男栄通が[[末期養子]]となって相続した。


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==

2013年5月30日 (木) 06:07時点における版

奥村 栄親(おくむら てるちか、文政8年(1825年) - 天保15年9月5日1844年10月16日))は、加賀藩人持組頭加賀八家奥村宗家第12代当主。

父は奥村栄実。養子は奥村栄通。幼名元松丸、純松丸。通称助十郎。

文政8年(1825年)加賀藩家老奥村栄実の子として金沢に生まれる。天保14年(1843年)父栄実の死去により家督と遺知1万7000石を相続。天保15年(1844年)9月5日没。享年20。家督は分家奥村質直の八男栄通が末期養子となって相続した。

参考文献

  • 「幕末維新人名事典」