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== 企業としてのジョルジオ・アルマーニ == |
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== 慈善活動(プロダクトRED) == |
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プロダクトRED(レッド)とは、民間企業から世界エイズ・結核・マラリア対策基金への持続的な資金の流れをつくる寄付の仕組みである。ロックバンド[[U2]]のヴォーカル[[ボノ]]と国際NGOであるDATAのボビー・シュライバーが発起人となり、2006年1月26日、スイスのダボスで開催された世界経済フォーラムにおいて発表され、ジョルジオ・アルマーニも賛同した。 |
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「(PRODUCT) RED」と称する共通ブランド商品を開発・製造し、その販売収益の一部を世界基金に継続的に寄付する仕組みで、これによって得られた資金は世界基金のアフリカでのエイズ対策支援(なかでも女性と子供に焦点を当てたプログラム)に役立てられる。日本においては、エンポリオ・アルマーニのショップで、「(PRODUCT) RED」のタグのついた商品が購入可能である。 |
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プロダクトRED商品の売上により、これまでに約1億3000万ドル(2009年3月現在)が世界基金に寄付されている。この寄付はルワンダ、スワジランド、ガーナ、レソトにおけるエイズ対策資金として活用され、これまでに400万人が支援を受けている。 |
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2006年11月の来日時に、[[U2]]の[[ボノ]]が[[安倍晋三]]首相を表敬訪問した際、自らの活動に関連してリーダーシップの発揮を求めたほか、日本の発展途上国 (特に東南アジア)への援助と、2000年に日本が提案した基金によりエイズ患者の手に治療薬が渡っていることを賞讃した。この際、REDとエンポリオ・アルマーニのコラボレーションモデルのサングラスを贈り、安倍首相がこれを掛けるという場面もあった。 |
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; 主な支援実績 |
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:* 11万人以上のHIV感染者にエイズ治療薬を提供 |
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:* 340万人以上にHIV抗体検査・カウンセリングを実施 |
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:* HIVに感染した妊婦7万人以上へ母子感染予防のための治療を提供 |
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:* 医療施設への資金支援、医療従事者の育成やエイズ遺児のケアへの支援 |
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== エピソード == |
== エピソード == |
2013年4月1日 (月) 18:53時点における版
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ジョルジオ・アルマーニ Giorgio Armani | |
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モスクワにて撮影 | |
生誕 |
1934年7月11日 イタリア、ピアチェンツァ |
職業 | ファッションデザイナー |
ジョルジオ・アルマーニ(伊: Giorgio Armani, 1934年7月11日 - )は、イタリアのファッションデザイナーである。自身が創立したファッションブランド・アルマーニ(GIORGIO ARMANI S.p.A.)を展開している。
人物
イタリアを代表するファッションデザイナーの1人で、ミラノを基盤にコレクションを持つジャンフランコ・フェッレ (伊: Gianfranco Ferré) とジャンニ・ヴェルサーチ (伊: Gianni Versace) と共に、「ミラノの3G」として世界中にその名をとどろかせている。
略歴
- 1934年7月11日 - イタリア、ピアチェンツァで午前7時20分に生まれる。
- ミラノ大学医学部在籍中に兵役に召集され、そのまま大学は中退する。
- 1957年 - 1964年 - ミラノの百貨店「ラ・リナシェンテ」のバイヤーを務める。
- 1964年 - セルッティ社のメンズウェア「ヒットマン」のデザイナーと製品開発係を兼任。
- 1975年 - アルマーニが41歳のとき、セルジオ・ガレオッティと共に自らの会社を設立し、自社商品(メインブランド)を発表。
- 以後の企業活動は「アルマーニ」を参照。
映画
- 1980年 - 『アメリカン・ジゴロ』でリチャード・ギアの衣装を担当。アルマーニの初めてのオフィシャルでの衣装協力であり、アルマーニの世界的な成功が始まる。
- 1986年 - マーティン・スコセッシ監督を起用し、エンポリオ・アルマーニのTV用のCFを初めて製作した。
- 1987年 - ケビン・コスナー主演の『アンタッチャブル』の衣装を担当。
- 1990年 - マーティン・スコセッシ監督はアルマーニ自身を描いた26分のドキュメンタリー「Made in Milan」を製作した。
- 1992年 - ジョルジオ・アルマーニのレディスフレグランス「ジオ」のキャンペーンに、デヴィッド・リンチ監督の製作したTVスポットが流され、話題となる。ララ・ハリス扮するジオという名の女性がパーティに到着するが、多くのキャメラマンが待ち構えていたため、クラブへ逃げ込むというストーリーで、モノクロのセンスある画面が印象的と評されている。
- 2000年 - ジュリアン・オーザンヌ監督を起用し、イギリス・イタリア合作で、アルマーニ自身を描いた79分のドキュメンタリー「giorgio armani : a man for all seasons」を製作した。同作品は、2003年にヴァージンシネマズ六本木ヒルズのオープニング作品として、劇場公開された。
書籍
- 2007年 - 「ジョルジオ・アルマーニ 帝王の美学」が、アルマーニ初の評伝として、秘蔵写真220点以上が収録され、日本経済新聞出版社から創刊されている。著者は、「コンデ・ナスト」・グループの各誌(ヴォーグイタリア版、ウオモ・ヴォーグ、カーザ・ヴォーグ、GQ)で記事を執筆しているレナータ・モルホ。日本語翻訳は、目時能理子と関口英子が担当した。
音楽(CD)
ARMANI/MUSICA
- EMPORIO ARMANI CAFFE 1 2003年発売
- EMPORIO ARMANI CAFFE 2 2004年発売
- EMPORIO ARMANI CAFFE 3 2006年発売
- EMPORIO ARMANI CAFFE 4(2枚組)2008年発売
- EMPORIO ARMANI CAFFE 5(2枚組)2010年発売
来日
- 1982年
- 1997年 -「1998春夏コレクション」
- 2005年 - アルマーニ創立30周年記念として、六本木ヒルズ・森美術館にて大回顧展「ジョルジオ・アルマーニ展」
- 2007年 -「アルマーニ/銀座タワー」オープン記念
企業としてのジョルジオ・アルマーニ
詳細は「アルマーニ」を参照
エピソード
- アルマーニ語録で「私はニセモノが嫌いだ。見せかけの真実は見たくない」は有名である。
- 1982年のアメリカのTIME誌の表紙を飾ったのは、ファッションデザイナーではクリスチャン・ディオール以来2人目。
- トレードマークは紺の半袖Tシャツに黒のズボン。
- 大の映画好きで、映画監督のマーティン・スコセッシとは友人関係にある。
- モード界の帝王と呼ばれ、完璧主義者である。完璧主義であるがゆえ、中途半端な外国語は話さない[要出典]。
- 2005年の来日時に「引退後の後継者は」と質問され、「私が70歳のおじいちゃんに見えますか」と軽くあしらった。2007年に銀座に出店した際の『NEWS ZERO』でのインタビューでは、「おそらく、個人ではなく経営陣になるだろう」と答えている。
- アルマーニを題材にした映画には、「Giorgio Armani:A Man For All Seasons」(2000年)、ショートフィルム「Made in Milan」(1990年)がある。
- アルマーニを尊敬しているファッションデザイナーには、ナルシソ・ロドリゲス、ダナ・キャラン、ダイアン・フォン・ファステンバーグ等が居る[要出典]。
- 映画『アメリカン・ジゴロ』でリチャード・ギアの衣装を担当し、これをきっかけにハリウッドで一躍有名となった。顧客リストには、レオナルド・ディカプリオ、ジョージ・クルーニー、ジョン・トラボルタ、クライヴ・オーウェン、ソフィア・ローレン、ジョディ・フォスター、シャロン・ストーン等のハリウッドのセレブリティ達が名を連ねている。2006年、イタリアで挙式を挙げたトム・クルーズとケイティ・ホームズのウェディングドレスも彼がデザインした。
- 20世紀で最も成功したデザイナーであり、雑誌フォーブスの世界長者番付においても、常にランクインされている。
- 出身地にあるサッカークラブピアチェンツァ・カルチョの熱心なサポーターであり過去には同クラブのユニフォームデザインも手がけた。また同クラブの選手支給スーツもアルマーニ社の製品である
- 過去にミラノの自宅で、テレビの企画で中田英寿と対談をしたことがある。