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[[File:Ayodhya city.jpg|thumb|right|220px|アヨーディヤーの風景]]
'''アヨーディヤー''' ([[ヒンディー語]]:अयोध्या、英語:Ayodhya、アヨーデャーとも)は[[インド]]の[[古都]]。[[ウッタル・プラデーシュ州]]北部に位置し、7Km西に[[ファイザーバード]]の街がある。[[古代]][[コーサラ国]]の初期の[[首都]]とされ、[[叙事詩]]『[[ラーマーヤナ]]』の主人公[[ラーマ]]王子の故郷としても知られる。その名は「難攻不落の都城」を意味する。'''アヨーディヤ'''とも表記されるが、現地語の名称では最後の音節は長母音である。
'''アヨーディヤー''' ([[ヒンディー語]]:अयोध्या、英語:Ayodhya、アヨーデャーとも)は[[インド]]の[[古都]]。[[ウッタル・プラデーシュ州]]北部に位置し、7Km西に[[ファイザーバード]]の街がある。'''アヨーディヤ'''とも表記されるが、現地語の名称では最後の音節は長母音である。

アヨーディヤーの名は「難攻不落の都城」を意味し、[[古代]][[コーサラ国]]の初期の[[首都]]とされ、[[叙事詩]]『[[ラーマーヤナ]]』の主人公[[ラーマ]]王子の故郷としても知られる。


==歴史==
==歴史==
[[Image:India Awadh locator map.svg|thumb|right|200px|アワド地方の位置]]
古代にはサーケータという名でも知られた。[[ヒンドゥー教]]ではインドの七つの聖なる町の筆頭とされている。
古代にはサーケータという名でも知られた。[[ヒンドゥー教]]ではインドの七つの聖なる町の筆頭とされている。


この町を中心とした地域はかつて、アヨーディヤーの名をとって「'''アワド'''」と呼ばれ、古来より数々の王朝が栄え、[[13世紀]]以降に[[デリー・スルタン朝]]の拠点となったのちも重要な地域とされ、一時は[[デリー]]から独立した[[ジャウンプル・スルタン朝]]が成立した。
この町を中心とした地域はかつて、アヨーディヤーの名をとって「'''アワド'''」と呼ばれ、古来より数々の王朝が栄え、[[13世紀]]以降に[[デリー・スルタン朝]]の拠点となったのちも重要な地域とされ、一時は[[デリー]]から独立した[[ジャウンプル・スルタン朝]]が成立した。


[[16世紀]]、この地域が[[ムガル帝国]]の支配下にはいると、[[アワド太守]]が設置され、[[18世紀]]初頭に帝国が衰退すると、アワド太守はこの地に地方政権を樹立した。
[[16世紀]]、この地域が[[ムガル帝国]]の支配下にはいると、[[アワド太守]]が設置され、[[18世紀]]初頭に帝国が衰退すると、アワド太守はこの地に地方政権を樹立した。


[[1992年]][[12月6日]]、[[ヒンドゥー教]]強硬派に扇動された暴徒による[[バーブリー・マスジド]]([[モスク]])倒壊事件が起こり、この後インド各地でヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の間で宗派間暴動が頻発した。
[[1992年]][[12月6日]]、[[ヒンドゥー教]]強硬派に扇動された暴徒による[[バーブリー・マスジド]]([[モスク]])倒壊事件が起こり、この後インド各地でヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の間で宗派間暴動が頻発した。

2013年1月29日 (火) 08:31時点における版

アヨーディヤーの風景

アヨーディヤーヒンディー語:अयोध्या、英語:Ayodhya、アヨーデャーとも)はインド古都ウッタル・プラデーシュ州北部に位置し、7Km西にファイザーバードの街がある。アヨーディヤとも表記されるが、現地語の名称では最後の音節は長母音である。

アヨーディヤーの名は「難攻不落の都城」を意味し、古代コーサラ国の初期の首都とされ、叙事詩ラーマーヤナ』の主人公ラーマ王子の故郷としても知られる。

歴史

アワド地方の位置

古代にはサーケータという名でも知られた。ヒンドゥー教ではインドの七つの聖なる町の筆頭とされている。

この町を中心とした地域はかつて、アヨーディヤーの名をとって「アワド」と呼ばれ、古来より数々の王朝が栄え、13世紀以降にデリー・スルタン朝の拠点となったのちも重要な地域とされ、一時はデリーから独立したジャウンプル・スルタン朝が成立した。

16世紀、この地域がムガル帝国の支配下にはいると、アワド太守が設置され、18世紀初頭に帝国が衰退すると、アワド太守はこの地に地方政権を樹立した。

1992年12月6日ヒンドゥー教強硬派に扇動された暴徒によるバーブリー・マスジドモスク)倒壊事件が起こり、この後インド各地でヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の間で宗派間暴動が頻発した。

またタイの古都アユタヤもアヨーディヤーの名に由来する。

関連項目