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'''ヘテロフォニー'''は音楽の[[テクスチュア]]の一種で、[[モノフォニー]]の複雑化したもの。つまり、同一の[[旋律]]を奏でる様々な奏者や歌手が、任意で別々に動いたり、[[リズム]]や[[テンポ]]を微妙にずらしたりすることで異なった装飾や音型が生じ、偶発的に瞬間的な[[ポリフォニー]]を生ずるようになったものをいう。
'''ヘテロフォニー'''は音楽の[[テクスチュア]]の一種で、[[モノフォニー]]の複雑化したもの。つまり、同一の[[旋律]]を奏でる様々な奏者や歌手が、任意で別々に動いたり、[[リズム]]や[[テンポ]]を微妙にずらしたりすることで異なった装飾や音型が生じ、偶発的に瞬間的な[[ポリフォニー]]を生ずるようになったものをいう。


==解説==
== 解説 ==
「ヘテロフォニーの響きの層」は、特に[[アジア]]の[[民族音楽]](とりわけ古い宮廷音楽)において特徴的であり、[[雅楽]]や[[ガムラン]]などで、旋律線から逸脱する部分を確認することができる{{要出典|date=2008年12月}}。
「ヘテロフォニーの響きの層」は、特に[[アジア]]の[[民族音楽]](とりわけ古い宮廷音楽)において特徴的であり、[[雅楽]]や[[ガムラン]]などで、旋律線から逸脱する部分を確認することができる{{要出典|date=2008年12月}}。


[[ベンジャミン・ブリテン]]は、《放蕩息子》や《[[カーリュー・リヴァー]]》、《[[戦争レクイエム]]》などの宗教的な作品において、ヘテロフォニーを非常に効果的に用いている。また、ポスト・モダンやポスト・コロニアルの潮流にくわえて、[[新ロマン主義音楽|音楽界における新ロマン主義]]の復権のなか、ヘテロフォニーの積極利用が見直されるようになった{{要出典|date=2008年12月}}。日本人作曲家では[[西村朗]]の《永遠なる混沌の光の中へ》や《鳥のヘテロフォニー》といった作例が見出される。
[[ベンジャミン・ブリテン]]は、《放蕩息子》や《[[カーリュー・リヴァー]]》、《[[戦争レクイエム]]》などの宗教的な作品において、ヘテロフォニーを非常に効果的に用いている。また、ポスト・モダンやポスト・コロニアルの潮流にくわえて、[[新ロマン主義音楽|音楽界における新ロマン主義]]の復権のなか、ヘテロフォニーの積極利用が見直されるようになった{{要出典|date=2008年12月}}。日本人作曲家では[[西村朗]]の《永遠なる混沌の光の中へ》や《鳥のヘテロフォニー》といった作例が見出される。


==ポリフォニーとの関係==
== ポリフォニーとの関係 ==
厳密に言えば、各[[声部]]が独立性を持つポリフォニーと峻別するために使われる語であるが、ポリフォニーの一種と見なしたり、あるいはモノフォニーからポリフォニーへの過渡的な形態と見なしたりすることも可能ではあるとの意見がある{{誰|date=2008年12月}}。しかしながら、首尾一貫して独立している声部が存在しないこと(基本的には同一の旋律からの「逸脱」にすぎない)、ヘテロフォニーにおける一時的な「定旋律」と「対旋律」の相互関係が必ずしも対等でないことなどから、ポリフォニーとの相違点がないわけではないとの反論もある{{誰|date=2008年12月}}。
厳密に言えば、各[[声部]]が独立性を持つポリフォニーと峻別するために使われる語であるが、ポリフォニーの一種と見なしたり、あるいはモノフォニーからポリフォニーへの過渡的な形態と見なしたりすることも可能ではあるとの意見がある{{誰|date=2008年12月}}。しかしながら、首尾一貫して独立している声部が存在しないこと(基本的には同一の旋律からの「逸脱」にすぎない)、ヘテロフォニーにおける一時的な「定旋律」と「対旋律」の相互関係が必ずしも対等でないことなどから、ポリフォニーとの相違点がないわけではないとの反論もある{{誰|date=2008年12月}}。


==語源==
== 語源 ==
「ヘテロフォニー」という語は、[[プラトン]]の造語であって元は音楽用語ではなく、世界中のさまざまな領域に使われていた{{要出典|date=2008年12月}}。
「ヘテロフォニー」という語は、[[プラトン]]の造語であって元は音楽用語ではなく、世界中のさまざまな領域に使われていた{{要出典|date=2008年12月}}。



2012年12月19日 (水) 00:05時点における版

ヘテロフォニーは音楽のテクスチュアの一種で、モノフォニーの複雑化したもの。つまり、同一の旋律を奏でる様々な奏者や歌手が、任意で別々に動いたり、リズムテンポを微妙にずらしたりすることで異なった装飾や音型が生じ、偶発的に瞬間的なポリフォニーを生ずるようになったものをいう。

解説

「ヘテロフォニーの響きの層」は、特にアジア民族音楽(とりわけ古い宮廷音楽)において特徴的であり、雅楽ガムランなどで、旋律線から逸脱する部分を確認することができる[要出典]

ベンジャミン・ブリテンは、《放蕩息子》や《カーリュー・リヴァー》、《戦争レクイエム》などの宗教的な作品において、ヘテロフォニーを非常に効果的に用いている。また、ポスト・モダンやポスト・コロニアルの潮流にくわえて、音楽界における新ロマン主義の復権のなか、ヘテロフォニーの積極利用が見直されるようになった[要出典]。日本人作曲家では西村朗の《永遠なる混沌の光の中へ》や《鳥のヘテロフォニー》といった作例が見出される。

ポリフォニーとの関係

厳密に言えば、各声部が独立性を持つポリフォニーと峻別するために使われる語であるが、ポリフォニーの一種と見なしたり、あるいはモノフォニーからポリフォニーへの過渡的な形態と見なしたりすることも可能ではあるとの意見がある[誰?]。しかしながら、首尾一貫して独立している声部が存在しないこと(基本的には同一の旋律からの「逸脱」にすぎない)、ヘテロフォニーにおける一時的な「定旋律」と「対旋律」の相互関係が必ずしも対等でないことなどから、ポリフォニーとの相違点がないわけではないとの反論もある[誰?]

語源

「ヘテロフォニー」という語は、プラトンの造語であって元は音楽用語ではなく、世界中のさまざまな領域に使われていた[要出典]