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'''秘跡'''あるいは'''秘蹟'''(ひせき、[[ギリシア語]]:{{lang|el|μυστηριον}}、[[ラテン語]]{{lang|la|Sacramentum}})は、[[スト教]]において、神と人間とを仲介し、[[神の恵み]]を人間に与える儀式のこと。
'''秘跡'''(ひせき、{{lang-la|Sacramentum}}、{{lang-el|μυστηριον}})は、[[カトック]]の用語で、神と人間とを仲介し、[[神の恵み]]を人間に与える儀式のこと。かつては「秘蹟」とも書かれていた。[[英語]]では「'''サクラメント'''(Sacrament)」で、[[キリスト教]]の他の[[キリスト教諸教派の一覧|教派]]にも相当するものがあるが、日本では教派によって訳語が異なる


[[Image:Seven Sacraments Rogier.jpg|thumb|380px|七つの秘跡 [[ロヒール・ファン・デル・ウェイデン]]画 1448年]]
[[Image:Seven Sacraments Rogier.jpg|thumb|380px|七つの秘跡 [[ロヒール・ファン・デル・ウェイデン]]画 1448年]]
{{Main|サクラメント}}
日本では[[キリスト教諸教派の一覧|教派]]によって訳語が異なる。英語では[[サクラメント]]。「秘跡」というのは日本の[[カトリック教会]]の訳語であり、他の教派では、[[正教会]]では「'''[[機密 (正教会)|機密]]'''(きみつ)、[[聖公会]]では「'''聖奠'''(せいてん)、プロテスタントでは「'''[[礼典]]・聖礼典'''(れいてん、せいれいてん)などとい、意味も異なっていることがある。

秘跡(サクラメントは、[[正教会]]では「'''[[機密 (正教会)|機密]]'''(きみつ)、[[聖公会]]では「'''聖奠'''(せいてん)[[プロテスタント]]では「'''[[礼典]]・聖礼典'''(れいてん、せいれいてん)などとい、意味も異なっていることがある。


==概説==
==概説==
初代教会以来、正統教会においては七つの秘跡が伝統的に守られていたが、古代における単性論教会の離脱、11世紀の東西教会の分裂や16世紀以降の[[宗教改革]]運動などでさまざまな教派が生まれていく中で秘跡の概念も広がっていった。カトリック教会において七つの秘跡が確定したのは12世紀の神学者[[ペトルス・ロンバルドゥス]]による。プロテスタン諸派間では、「仲介す」という言葉は目に見えない神の恵みを目に見える形にするといだけのもの、単なる象徴(シンボル)いう意味らえるものもあが、カトリック教会[[東方正教会]]、[[東方諸教会]]、[[アッシリア教会]]、[[聖公会]]、[[復古カトリック教会]]、[[ル教会]]などでは「単なる象徴というだけでなく、神の恵みを直接人間に伝えるもの」であるとしている。
初代教会以来、正統教会においては七つの秘跡が伝統的に守られていたが、古代における単性論教会の離脱、11世紀の[[東西教会の分裂]]や16世紀以降の[[宗教改革]]運動などでさまざまな教派が生まれていく中で秘跡の概念も広がっていった。カトリック教会において七つの秘跡が確定したのは12世紀の神学者[[ペトルス・ロンバルドゥス]]による。リック教会場合、秘跡(種類によって異なるものがあるが)聖職者([[司教]]・[[司祭]])によって執り行われ目にみえ儀式に目に見えない恵みをうものと考えられる。秘跡は[[聖別]]された水、油、ぶどう酒などによって神かの見ない恵みが人間に与えられとされカトリック教会をはじめ[[東方正教会]]、[[東方諸教会]]、[[アッシリア教会]]、[[聖公会]]、[[復古カトリック教会]]、[[ルーテル教会]]などでは、秘跡(サクラメント)は「神の恵みを直接人間に伝えるもの」であるとしているが、プロテスタント諸派の間では、「仲介する」という言葉は目に見えない神の恵みを目に見える形にするというだけのもの、「単なる象徴(シンボル)」という意味でとらえるものもある。

一口にキリスト教といっても、教派によって秘跡の数や意味についての解釈は異なっている。しかし、ほとんどの教派で秘跡を[[イエス・キリスト]]に直接由来するものとして考えている。通常、秘跡は司牧者・聖職者によって執り行われ、目にみえる儀式に目に見えない恵みを伴うものと考えられる。秘跡では聖別された水、油、ワインなどによって神からの見えない恵みが人間に与えられるとされる。


==語源==
==語源==
秘跡という言葉はラテン語のサクラメントゥム({{lang|la|Sacramentum}})に由来している。サクラメントゥムというのは「聖別されたもの、行い」あるいは「聖なるもの」「聖別すること」といった意味である。さらにこのラテン語は[[ギリシア語]]で「秘儀」を意味する「ミュステリオン」({{lang|el|μυστήριον}})の翻訳であるため、東方教会ではそのままギリシア語の「ミュステリオン」を用いるものもある。
秘跡という言葉は[[ラテン語]]のサクラメントゥム({{lang|la|Sacramentum}})に由来している。サクラメントゥムというのは「聖別されたもの、行い」あるいは「聖なるもの」「聖別すること」といった意味である。さらにこのラテン語は[[ギリシア語]]で「秘儀」を意味する「ミュステリオン」({{lang|el|μυστήριον}})の翻訳であるため、東方教会ではそのままギリシア語の「ミュステリオン」を用いるものもある。


==カトリック==
==カトリック教会の秘跡==
カトリック教会が伝統的に認めてきた七つの秘跡は以下のとおりである。<ref>カトリック教会においては七つの秘跡の他に、[[十字のしるし]]や、マリア像、聖人像、[[不思議のメダイ]][[ロザリオ]]の[[別]]など[[準秘跡]]と呼ばれるものがある。また[[第2バチカン公会議]]以降のカトリック神学では、キリストは[[原秘跡]]、教会は[[根本秘跡]]と言われる。</ref>
[[カトリック教会]]が伝統的に認めてきた七つの秘跡は以下のとおりである<ref>[[カトリック教会のカテキズム]]より(『カトリック教会のカテキズム 要約(コンペンディウム)』137頁、カトリック中央協議会 ISBN 978-4-87750-153-2 )</ref><ref>カトリック教会においては七つの秘跡の他に、[[十字のしるし]]や、[[聖母マリア|マリア]][[聖人#キリスト教|聖人]]像・[[ロザリオ]]・メダイの[[別]](祝別)など[[準秘跡]]と呼ばれるものがある。また[[第2バチカン公会議]]以降のカトリック神学では、キリストは[[原秘跡]]、教会は[[根本秘跡]]と言われる。</ref>


*'''[[洗礼]]'''
*'''[[洗礼]]'''
*'''[[堅信]]'''
*'''[[聖体]]'''
*'''[[聖体]]'''
*'''[[婚姻の秘跡]]'''
*'''[[赦しの秘跡|ゆるし]]'''
*'''[[病者の塗油]]'''
*'''[[叙階]]'''
*'''[[叙階]]'''
*'''[[堅信]]'''
*'''[[婚姻の秘跡|結婚]]'''
*'''[[告解|ゆるしの秘跡]]'''、あるいは「告解」
*'''[[病者の塗油]]'''(かつて「終油の秘跡」とよばれ、臨終の人が受けるものというイメージが強かったが、[[第2バチカン公会議]]以降、本来の意味が見直され、より広い意味で病者に与えられる秘跡となった。)


==諸派におけるサクラメント==
カトリック教会が伝統的に認めてきた七つの秘跡は、次に説明するように正教会や東方の諸教会とも項目の対応関係がとれている。ただ東方教会の中では上記以外のものも秘跡とみなすものもある。
一口にキリスト教といっても、教派によって秘跡([[サクラメント]])の数や意味についての理解・解釈は異なっている。[[西方教会]]においては、サクラメントの基本はカトリック教会が伝統的に認めてきた上記の七つであるが、宗教改革以降の諸派では、サクラメントの数や名称、理解などが教派によって異なっている。また[[東方教会]]の中では上記以外のものもサクとみなすものもある。しかし、ほとんどの教派でサクラメントを[[イエス・キリスト]]に直接由来するものとして考えていて、カトリック教会が伝統的に認めてきた七つの秘跡は、次に説明するように正教会や東方の諸教会とも項目の対応関係がとれている。

==諸派における秘跡==
{{Main|サクラメント}}
秘跡についての理解はキリスト教諸派で異なっている。[[西方教会]]において、秘跡の基本はカトリック教会が伝統的に認めてきた上記の七つであるが、宗教改革以降の諸派では秘跡の数、名称、理解などが教派によって異なっている。


===正教会===
===正教会===
{{main|機密 (正教会)}}
{{main|機密 (正教会)}}


[[日本ハリストス正教会]]では[[機密 (キリスト教)|機密]]の訳語について、「堅信」に「[[傅膏機密|傅膏]]」、「ゆるしの秘跡」に「[[痛悔機密|痛悔]]」、「叙階」に「[[神品機密|神品]]」、「婚」に「[[婚配機密|婚配]]」、「病者の塗油」に「[[聖傅機密|聖傅]]」を用いている。但し単なる訳語の違いが存在するだけでなく、それぞれカトリック教会とは位置づけが多少異なっている。
[[日本ハリストス正教会]]では[[機密 (キリスト教)|機密]]の訳語について、「堅信」に「[[傅膏機密|傅膏]]」、「ゆるしの秘跡」に「[[痛悔機密|痛悔]]」、「叙階」に「[[神品機密|神品]]」、「婚」に「[[婚配機密|婚配]]」、「病者の塗油」に「[[聖傅機密|聖傅]]」を用いている。但し単なる訳語の違いが存在するだけでなく、それぞれカトリック教会とは位置づけが多少異なっている。


===聖公会===
===聖公会===
[[聖公会]]においては聖奠(サクラメントの数や概念さまざまである。伝統的に洗礼と聖餐は福音に論拠があり、救いにかかわるもっとも重要なサクラメントとして扱われる。カトリック教会同様、サクラメントの数は七つであっても洗礼と聖餐以外の五つより重要度の低いものとみなしている。
[[聖公会]]においては、[[サクラメント]]の数はカトリック教会と同様に七つであるが、その概念はやや異なる。伝統的に洗礼と[[聖餐]]は福音に論拠があり、救いにかかわるもっとも重要なサクラメント(聖奠)として扱われる。洗礼と聖餐以外の五つは、より重要度の低いものとみなしている。


===プロテスタント===
===プロテスタント===
{{main|礼典}}
{{main|礼典}}
プロテスタント教会の多くは「洗礼」と「聖餐」のみを礼典として認めていることが多い。これは宗教改革において「キリスト教のすべてを聖書にもとづいて見直す」という動きが起きたときに、洗礼と聖餐のみは新約聖書に記述があり、イエス・キリストに真に由来するものであると考えられたからである。他の五つの秘跡は聖書に根拠がないとして廃止されていった。プロテスタントでも結婚式や聖職者の按手を行っているが、それらは秘跡とはみなされていない。<ref>プロテスタントの動きを受けてカトリック教会でも[[トリエント公会議]]で秘跡の意味と起源についての再確認がおこなわれたが、七つすべてが新約聖書に論拠があるものとされ、七つの秘跡の伝統が保持された</ref>
プロテスタント教会の多くは「洗礼」と「聖餐」のみを礼典として認めていることが多い。これは宗教改革において「キリスト教のすべてを聖書にもとづいて見直す」という動きが起きたときに、洗礼と聖餐のみは[[新約聖書]]に記述があり、イエス・キリストに真に由来するものであると考えられたからである。他の五つの秘跡は聖書に根拠がないとして廃止されていった。プロテスタントでも結婚式や聖職者の按手を行っているが、それらは秘跡とはみなされていない。<ref>プロテスタントの動きを受けてカトリック教会でも[[トリエント公会議]]で秘跡の意味と起源についての再確認がおこなわれたが、七つすべてが新約聖書に論拠があるものとされ、七つの秘跡の伝統が保持された</ref>。ほかにも[[アナバプテスト]]に由来するあるグループでは、[[洗足式]]も教会が行うべきものとみなしている。

===補足===
プロテスタント教会では「聖体」に「聖餐」という言葉を用い、聖公会では「聖体」に「聖奠」を用いる。ほかにも[[アナバプテスト]]に由来するあるグループでは「[[洗足式]]」も教会が行うべきものとみなしている。


==脚注==
==脚注==

2012年4月12日 (木) 14:49時点における版

秘跡(ひせき、ラテン語: Sacramentumギリシア語: μυστηριον)は、カトリック教会の用語で、神と人間とを仲介し、神の恵みを人間に与える儀式のこと。かつては「秘蹟」とも書かれていた。英語では「サクラメント(Sacrament)」で、キリスト教の他の教派にも相当するものがあるが、日本では教派によって訳語が異なる。

七つの秘跡 ロヒール・ファン・デル・ウェイデン画 1448年

秘跡(サクラメント)は、正教会では「機密(きみつ)」、聖公会では「聖奠(せいてん)」、プロテスタントでは「礼典・聖礼典(れいてん、せいれいてん)」などと言い、意味も異なっていることがある。

概説

初代教会以来、正統教会においては七つの秘跡が伝統的に守られていたが、古代における単性論教会の離脱、11世紀の東西教会の分裂や16世紀以降の宗教改革運動などでさまざまな教派が生まれていく中で秘跡の概念も広がっていった。カトリック教会において七つの秘跡が確定したのは12世紀の神学者ペトルス・ロンバルドゥスによる。カトリック教会の場合、秘跡は(種類によって異なるものがあるが)聖職者(司教司祭)によって執り行われ、目にみえる儀式に目に見えない恵みを伴うものと考えられる。秘跡では聖別された水、油、ぶどう酒などによって神からの見えない恵みが人間に与えられるとされる。カトリック教会をはじめ東方正教会東方諸教会アッシリア教会聖公会復古カトリック教会ルーテル教会などでは、秘跡(サクラメント)は「神の恵みを直接人間に伝えるもの」であるとしているが、プロテスタント諸派の間では、「仲介する」という言葉は目に見えない神の恵みを目に見える形にするというだけのもの、「単なる象徴(シンボル)」という意味でとらえるものもある。

語源

秘跡という言葉はラテン語のサクラメントゥム(Sacramentum)に由来している。サクラメントゥムというのは「聖別されたもの、行い」あるいは「聖なるもの」「聖別すること」といった意味である。さらにこのラテン語はギリシア語で「秘儀」を意味する「ミュステリオン」(μυστήριον)の翻訳であるため、東方教会ではそのままギリシア語の「ミュステリオン」を用いるものもある。

カトリック教会の秘跡

カトリック教会が伝統的に認めてきた七つの秘跡は以下のとおりである[1][2]

諸派におけるサクラメント

一口にキリスト教といっても、教派によって秘跡(サクラメント)の数や意味についての理解・解釈は異なっている。西方教会においては、サクラメントの基本はカトリック教会が伝統的に認めてきた上記の七つであるが、宗教改革以降の諸派では、サクラメントの数や名称、理解などが教派によって異なっている。また東方教会の中では上記以外のものもサクとみなすものもある。しかし、ほとんどの教派でサクラメントをイエス・キリストに直接由来するものとして考えていて、カトリック教会が伝統的に認めてきた七つの秘跡は、次に説明するように正教会や東方の諸教会とも項目の対応関係がとれている。

正教会

日本ハリストス正教会では機密の訳語について、「堅信」に「傅膏」、「ゆるしの秘跡」に「痛悔」、「叙階」に「神品」、「結婚」に「婚配」、「病者の塗油」に「聖傅」を用いている。但し単なる訳語の違いが存在するだけでなく、それぞれカトリック教会とは位置づけが多少異なっている。

聖公会

聖公会においては、サクラメントの数はカトリック教会と同様に七つであるが、その概念はやや異なる。伝統的に洗礼と聖餐は福音に論拠があり、救いにかかわるもっとも重要なサクラメント(聖奠)として扱われる。洗礼と聖餐以外の五つは、より重要度の低いものとみなしている。

プロテスタント

プロテスタント教会の多くは「洗礼」と「聖餐」のみを礼典として認めていることが多い。これは宗教改革において「キリスト教のすべてを聖書にもとづいて見直す」という動きが起きたときに、洗礼と聖餐のみは新約聖書に記述があり、イエス・キリストに真に由来するものであると考えられたからである。他の五つの秘跡は聖書に根拠がないとして廃止されていった。プロテスタントでも結婚式や聖職者の按手を行っているが、それらは秘跡とはみなされていない。[3]。ほかにもアナバプテストに由来するあるグループでは、洗足式も教会が行うべきものとみなしている。

脚注

  1. ^ カトリック教会のカテキズムより。(『カトリック教会のカテキズム 要約(コンペンディウム)』137頁、カトリック中央協議会 ISBN 978-4-87750-153-2
  2. ^ カトリック教会においては、七つの秘跡の他に、十字のしるしや、マリア像・聖人像・ロザリオ・メダイの聖別(祝別)など準秘跡と呼ばれるものがある。また第2バチカン公会議以降のカトリック神学では、キリストは原秘跡、教会は根本秘跡と言われる。
  3. ^ プロテスタントの動きを受けてカトリック教会でもトリエント公会議で秘跡の意味と起源についての再確認がおこなわれたが、七つすべてが新約聖書に論拠があるものとされ、七つの秘跡の伝統が保持された

参考文献

  • 『秘儀と秘義―古代の儀礼とキリスト教の典礼』、オード・カーゼル著、小柳義夫訳、みすず書房
  • 『キリスト教神学入門』、A・E・マクグラス著、神代真砂実訳、教文館
  • 『宗教改革の思想』、A・E・マクグラス著、高柳俊一訳、教文館

関連項目