「天災 (落語)」の版間の差分

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'''天災''' (てんさい) は、[[古典落語]]の演目の一つ。[[上方落語|上方]]・[[江戸落語|江戸]]双方で口演されており、基本的な筋書きは同じである。江戸では[[春風亭柳橋 (6代目)|6代目春風亭柳橋]]が得意とした。上方では、[[桂ざこば (2代目)|2代目桂ざこば]]が自らのキャラクターを生かして好演している。
'''天災'''てんさいは、[[古典落語]]の演目の一つ。[[上方落語|上方]]・[[江戸落語|江戸]]双方で口演されており、基本的な筋書きは同じである。江戸では[[春風亭柳橋 (6代目)|6代目春風亭柳橋]]が得意とした。上方では、[[桂ざこば (2代目)|2代目桂ざこば]]が自らのキャラクターを生かして好演している。


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(内容の一部は上方、あるいは江戸落語で特有のもの。人物名は江戸落語に準拠)
(内容の一部は上方、あるいは江戸落語で特有のもの。人物名は江戸落語に準拠)


[[長屋]]に住む[[短気]]で喧嘩っ早い[[八五郎]]。夫婦喧嘩で嫁を殴り、止めに入った実の母にまで手を出して町内のご隠居のところへ転がり込んだ。あきれ返ったご隠居は「'''紅羅坊奈丸'''べにらぼう・なまる、名丸とも」という心学[[石門心学]]の先生を紹介した。

[[長屋]]に住む[[短気]]で喧嘩っ早い[[八五郎]]。夫婦喧嘩で嫁を殴り、止めに入った実の母にまで手を出して町内のご隠居のところへ転がり込んだ。あきれ返ったご隠居は「'''紅羅坊奈丸'''(べにらぼう・なまる、名丸とも)」という心学 ([[石門心学]]) の先生を紹介した。


ご隠居からの手紙を読んだ奈丸は、八五郎に「短気は損気」「[[孝|孝行]]のしたい時分に親は無し。さればとて、石に布団を着せられず」「ならぬ堪忍するが堪忍」などと諭したが一向に理解しない。そこで例え話をする。
ご隠居からの手紙を読んだ奈丸は、八五郎に「短気は損気」「[[孝|孝行]]のしたい時分に親は無し。さればとて、石に布団を着せられず」「ならぬ堪忍するが堪忍」などと諭したが一向に理解しない。そこで例え話をする。



「道を歩いていると[[丁稚]]が打ち水をした水が着物の裾に掛かった。どうする?」「丁稚を張り倒して主人の家に殴り込む」
「道を歩いていると[[丁稚]]が打ち水をした水が着物の裾に掛かった。どうする?」「丁稚を張り倒して主人の家に殴り込む」
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と効き目がない。
と効き目がない。



「では広い野原を歩いていると[[にわか雨]]が降って来て全身濡れねずみ。傘も雨宿りの場所もない。どうする?」
「では広い野原を歩いていると[[にわか雨]]が降って来て全身濡れねずみ。傘も雨宿りの場所もない。どうする?」
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「では、丁稚に水を掛けられても、瓦が屋根から落ちてきても、天のしたこと、'''『天災』だと思って諦めなさい'''」
「では、丁稚に水を掛けられても、瓦が屋根から落ちてきても、天のしたこと、'''『天災』だと思って諦めなさい'''」



こう諭された八五郎は、納得して家に帰る。するとなにやら長屋が騒がしい。近所の[[熊五郎]]が新しい女を連れ込み、そこへ別れた前の嫁が戻ってきたので大喧嘩になっていたというのだ。さっき教わったばかりの話を熊さんにしてやろうと喜び勇んで乗り込む八五郎。
こう諭された八五郎は、納得して家に帰る。するとなにやら長屋が騒がしい。近所の[[熊五郎]]が新しい女を連れ込み、そこへ別れた前の嫁が戻ってきたので大喧嘩になっていたというのだ。さっき教わったばかりの話を熊さんにしてやろうと喜び勇んで乗り込む八五郎。


ところがうろ覚えでしか聴いていなかった八五郎の話はチンプンカンプン。「タヌキはタヌキ」とか「香々(=お新香の漬けたい時分に茄子は無し。さればとて、カボチャは生で齧られず」とか「奈良の神主駿河の神主」とかもう無茶苦茶。例え話も「広い野原を歩いているとにわか雨、そこへ丁稚が水をまく。すると丁稚は屋根から落ちてくる」と意味不明。そして

ところがうろ覚えでしか聴いていなかった八五郎の話はチンプンカンプン。「タヌキはタヌキ」とか「香々(=お新香)の漬けたい時分に茄子は無し。さればとて、カボチャは生で齧られず」とか「奈良の神主駿河の神主」とかもう無茶苦茶。例え話も「広い野原を歩いているとにわか雨、そこへ丁稚が水をまく。すると丁稚は屋根から落ちてくる」と意味不明。そして


「これもすべて天のしたこと、『天災』と思って諦めなさい、天とは喧嘩できないから」
「これもすべて天のしたこと、『天災』と思って諦めなさい、天とは喧嘩できないから」

2011年9月12日 (月) 15:00時点における版

天災(てんさい)は、古典落語の演目の一つ。上方江戸双方で口演されており、基本的な筋書きは同じである。江戸では6代目春風亭柳橋が得意とした。上方では、2代目桂ざこばが自らのキャラクターを生かして好演している。


注意:以降の記述には物語・作品・登場人物に関するネタバレが含まれます。免責事項もお読みください。


あらすじ

(内容の一部は上方、あるいは江戸落語で特有のもの。人物名は江戸落語に準拠)

長屋に住む短気で喧嘩っ早い八五郎。夫婦喧嘩で嫁を殴り、止めに入った実の母にまで手を出して町内のご隠居のところへ転がり込んだ。あきれ返ったご隠居は「紅羅坊奈丸(べにらぼう・なまる、名丸とも)」という心学(石門心学)の先生を紹介した。

ご隠居からの手紙を読んだ奈丸は、八五郎に「短気は損気」「孝行のしたい時分に親は無し。さればとて、石に布団を着せられず」「ならぬ堪忍するが堪忍」などと諭したが一向に理解しない。そこで例え話をする。

「道を歩いていると丁稚が打ち水をした水が着物の裾に掛かった。どうする?」「丁稚を張り倒して主人の家に殴り込む」

「屋根から瓦が落ちてきて頭に当たった。どうする?」「その家に殴り込む」「空家なら?」「大家の家へ行く」

と効き目がない。

「では広い野原を歩いているとにわか雨が降って来て全身濡れねずみ。傘も雨宿りの場所もない。どうする?」

「うーん・・・諦めるしかないな」

「丁稚に水をちょっと掛けられて怒るのに?」

「天とは喧嘩できない」

「では、丁稚に水を掛けられても、瓦が屋根から落ちてきても、天のしたこと、『天災』だと思って諦めなさい

こう諭された八五郎は、納得して家に帰る。するとなにやら長屋が騒がしい。近所の熊五郎が新しい女を連れ込み、そこへ別れた前の嫁が戻ってきたので大喧嘩になっていたというのだ。さっき教わったばかりの話を熊さんにしてやろうと喜び勇んで乗り込む八五郎。

ところがうろ覚えでしか聴いていなかった八五郎の話はチンプンカンプン。「タヌキはタヌキ」とか「香々(=お新香)の漬けたい時分に茄子は無し。さればとて、カボチャは生で齧られず」とか「奈良の神主駿河の神主」とかもう無茶苦茶。例え話も「広い野原を歩いているとにわか雨、そこへ丁稚が水をまく。すると丁稚は屋根から落ちてくる」と意味不明。そして

「これもすべて天のしたこと、『天災』と思って諦めなさい、天とは喧嘩できないから」

「天災じゃない、うちは『先妻』でもめてるんだ」

関連項目

以上で物語・作品・登場人物に関する核心部分の記述は終わりです。