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2011年8月13日 (土) 14:21時点における版
基本情報 | |
---|---|
本名 | 亀田 和毅 |
通称 | トモキ・エルメヒカニート・カメダ |
階級 | バンタム級 |
身長 | 171cm |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1991年7月12日(32歳) |
出身地 | 大阪府大阪市 |
スタイル | 右ボクサーファイター |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 17 |
勝ち | 17 |
KO勝ち | 12 |
敗け | 0 |
亀田 和毅(かめだ ともき、男性、1991年7月12日 - )は、日本のプロボクサー。大阪府大阪市西成区天下茶屋出身。大阪市立天下茶屋中学校卒業。現WBCユースバンタム級王者。亀田三兄弟の三男で、亀田興毅、亀田大毅の弟である。髪型が特徴的。
人物
- 名前の由来は、父・史郎が『知毅』とかいて『ともき』と読ませようとしたが、漢字を間違えたもしくは字が汚かったために読み間違えられたと言われることが多いが、実際には、三兄弟に「興大和(やまとをおこす)」の願いをこめて、三男には「和」の文字を使って命名し、「とも(き)」と読ませている[1]。
- 亀田三兄弟の1番下の弟として注目される。かねてより長男の興毅と次男の大毅は「兄弟の中で、一番才能があるのは和毅」と語っている。
- 2008年の北京オリンピックを目指していたが、予選の段階で17歳以上という年齢制限があったため、この資格を満たさない和毅の出場は不可能となった。
- 興毅の協栄ジムへの移籍に伴い、東京に転居。東京都葛飾区に本拠地を置いて練習を行っている。転居当初は、和毅は中学生であったが在籍している大阪の天下茶屋中学校から転校した事実はなく、事実上不登校となっていたことから、批判があった。2007年3月14日、天下茶屋中学校を卒業[2]。
来歴
日本でのアマチュアデビュー断念
2007年4月からは2人の兄と同様、高校には進学せず2007年5月に行われる全日本実業団選手権でアマチュアデビューし、プロライセンスが取得できる17歳になり次第プロに転向する予定であった。しかし2007年3月7日、「髪型の前髪は眉毛まで、後ろ髪はうなじまでとの規則に違反」「(テレビ番組出演などが)アマ資格に抵触する可能性がある」として、JABCルールに則り、アマチュアのリングに上がれない可能性がある旨を、日本アマチュアボクシング連盟が亀田側に通達したとの報道があった[3]。これに対し、和毅は「勝ち続けることで特例で北京五輪に出たる」と語ったが、父親でありトレーナーの亀田史郎は「違反のルールも曖昧。頭髪も社会人らしくないとムチャクチャ言いよる」「好き嫌いで亀田を排除しようとしているとしか思えん」とコメント。和毅を日本国外でデビューさせる意向を示した[4]。
メキシコ武者修行へ
メキシコ武者修行に旅立った和毅は2007年8月10日、メキシコのパンチョロサレスジムにて、WBCミニマム級25位のホブ・ソラーノとスパーリングしたが苦戦しリングを降りた。9月8日、メキシコで行われたアマチュア大会「グアンテス・デ・オロ」バンタム級リーグ戦(少年の部)の3戦目で、ギゼルモ・トレロと対戦。判定負けの裁定を受けたが再審議が行われ、無効試合となった。同4戦目では、エクトル・モラレスに判定負けをしたが、この試合もまた疑惑の判定として無効試合とされている。この大会では亀田の試合以外でも疑惑の判定が多く、大会運営側が審判団と協議し数試合の判定を無効とする採決が下された。結果、決勝まで勝ち進むものの、レイ・バルガスに判定負けで優勝はならなかった。
この大会途中で一旦帰国した和毅に対し、日本のメディアは、「土つかずの4連勝」「無敗の遠征凱旋」「相手を圧倒」などと報じたほか、参加大会を「ゴールデングローブ」としていた。
プロボクシング
2008年11月21日、メキシコでプロデビュー戦を行い、アレハンドロ・モレノ(メキシコ)と対戦し、2R2分8秒KO勝ちを収めた。当初のリングネームは「トモキ・エルメヒカニート・カメダ」
2008年12月8日、国内デビュー戦を行い、アドリアン・ラミレス(メキシコ)と対戦し、2R1分33秒KO勝ちを収めた。
2009年1月24日、ヴィンセント・ペレス(メキシコ)と対戦し、3R36秒TKO勝ちを収めた。
2009年2月6日、アルトゥーロ・デルガド(メキシコ)と対戦し、2R2分14秒TKO勝ちを収めた。
2009年3月14日、アンドレス・トーレス(メキシコ)と対戦し、2R1分38秒TKO勝ちを収めた。
2009年4月11日、アライン・ロペス(メキシコ)と対戦し4R判定勝ちを収めた。
2009年5月30日、初の日本人選手との対戦となった雲林龍広に4回42秒TKO勝ちを収めた[5]。
2009年6月26日、アレハンドロ・ドトール(メキシコ)と対戦し3R2分8秒TKO勝ちを収めた[6]。
2009年8月6日、マルコ・アントニオ・チェバレ(メキシコ)と対戦し、4R43秒TKO勝ちを収めた。
2009年9月5日、長兄・興毅の前座試合でヘスス・ペリバン(メキシコ)と対戦し、3回2分TKO勝ちを収め、デビュー以来10連勝となった[7]。
2009年11月27日、WBO世界フライ級王座挑戦経験もあるマルロン・マルケス(ニカラグア)と対戦し、4Rに2度ダウンを奪うなどして大差判定勝利を収めた。
2010年1月16日、メキシコ・ゴメスパラシオで空位のWBC中米カリブ (WBC FECARBOX) バンタム級王座をロドルフォ・ガライ(メキシコ)と争い、2Rに続けて3Rにもダウンを奪い、この回KO勝利を収めて同王座を獲得した[8]。
2010年4月30日、メキシコ・マサトランでナルシソ・ララ(メキシコ)と対戦し、3R1分36秒TKO勝ちを収め同王座の初防衛に成功した。
2010年5月29日、メキシコ・グアダラハラで空位のWBCカリブ (WBC CABOFE) バンタム級王座をハビエル・ロドリゲス(メキシコ)と争い、3-0(98-92、98-92、99-91)の判定勝利で同王座を獲得した[9]。
2010年7月10日、メキシコ・グアダラハラで空位のWBCユースインターコンチネンタルスーパーバンタム級王座決定戦でアルトゥロ・カマルゴ(メキシコ)と対戦し、3-0の判定勝ちで王座を獲得した[10]。
2010年8月28日、メキシコ・マサトランでWBCユースバンタム級王者ステファン・ヤモイェ(ベルギー)に挑戦。10回を戦い抜き、1-1(96-95、96-96、95-96)の判定ドローとなったものの、採点の集計ミスがあったとして2-1(96-95、96-95、95-96)の判定勝ちに変更され、王座を獲得した[11]。
2010年12月26日、1年1か月ぶりの日本のリングとなった兄2人によるダブル世界戦の前座試合で、タイバンタム級10位ピチットチャイ・ツインズジム(タイ)と対戦し、5度のダウンを奪った上で3R2分12秒TKO勝ち。プロデビュー以来17連勝となった[12]。
戦績
- アマチュアボクシング30戦27勝 (10KO・RSC) 1敗1分1無効試合
- プロボクシング:17戦17勝 (12KO) 無敗
戦 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2008年11月21日 | 勝利 | 2R 2:08 | KO | アレハンドロ・モレノ | メキシコ | プロデビュー戦 |
2 | 2008年12月8日 | 勝利 | 2R 1:33 | KO | アドリアン・ラミレス | メキシコ | 国内デビュー |
3 | 2009年1月24日 | 勝利 | 3R 0:36 | TKO | ヴィンセント・ペレス | メキシコ | |
4 | 2009年2月6日 | 勝利 | 2R 2:14 | TKO | アルトゥーロ・デルガド | メキシコ | |
5 | 2009年3月14日 | 勝利 | 2R 1:38 | TKO | アンドレス・トーレス | メキシコ | |
6 | 2009年4月11日 | 勝利 | 4R | 判定3-0 | アライン・ロペス | メキシコ | |
7 | 2009年5月30日 | 勝利 | 4R 0:42 | TKO | 雲林龍広 | 日本 | 初の日本人選手との対戦 |
8 | 2009年6月26日 | 勝利 | 3R 2:08 | TKO | アレハンドロ・ドトール | メキシコ | |
9 | 2009年8月6日 | 勝利 | 4R 0:43 | TKO | マルコ・アントニオ・チェバレ | メキシコ | |
10 | 2009年9月5日 | 勝利 | 3R 2:00 | TKO | ヘスス・ペリバン | メキシコ | |
11 | 2009年11月27日 | 勝利 | 8R | 判定3-0 | マルロン・マルケス | ニカラグア | |
12 | 2010年1月16日 | 勝利 | 3R 1:53 | KO | ロドルフォ・ガライ | メキシコ | WBC FECARBOXバンタム級王座決定戦 |
13 | 2010年4月30日 | 勝利 | 3R 1:36 | TKO | ナルシソ・ララ | メキシコ | FECARBOX防衛1 |
14 | 2010年5月29日 | 勝利 | 10R | 判定3-0 | ハビエル・ロドリゲス | メキシコ | WBC CABOFEバンタム級王座決定戦 |
15 | 2010年7月10日 | 勝利 | 10R | 判定3-0 | アルトゥロ・カマルゴ | メキシコ | WBCユースインターコンチネンタルスーパーバンタム級王座決定戦 |
16 | 2010年8月28日 | 勝利 | 10R | 判定2-1 | ステファン・ヤモイェ | ベルギー | WBCユースバンタム級タイトルマッチ |
17 | 2010年12月26日 | 勝利 | 3R 2:12 | TKO | ピチットチャイ・ツインズジム | タイ | |
18 | 2011年7月8日 | 勝利 | 10R | 判定3-0 | ボーイ・ドンディー・プマール | フィリピン | WBCユースバンタム級王座防衛1 |
テンプレート |
獲得タイトル
- アマチュア
- 2007年バンタム級グアンテス・デ・オロ(ゴールデングローブ)準優勝
- 2008年 バンタム級 プーニョス・デ・オロ 優勝
- プロ
- WBC中米カリブ (WBC FECARBOX) バンタム級王座(防衛1)
- WBCカリブ (WBC CABOFE) バンタム級王座(防衛0)
- WBCユースインターコンチネンタルスーパーバンタム級王座(防衛0)
- WBCユースバンタム級王座(防衛1)
脚注
- ^ 亀田家メモ 日刊スポーツ 2009年8月3日閲覧
- ^ 和毅が中学校を卒業、式を10分で退席 日刊スポーツ 2007年3月15日
- ^ 亀田和毅が北京五輪断念、米修行…アマ側“門前払い” スポーツ報知 2007年3月5日
- ^ 後日、日本アマチュアボクシング連盟の吉森照夫専務理事が、前述の報道に反論。和毅のアマチュアデビューを拒否した事実はなく、ルールを守り品性を保ちさえすれば和毅のアマチュアデビューを歓迎するとのコメントを発表した。これについて亀田史郎は、ノーコメントを貫いている。
- ^ 亀田三男・和毅KOで国内2連勝 ボクシングニュース「Box-on!」 2009年5月30日
- ^ 亀田三男、TKOで8連勝 ボクシングニュース「Box-on!」 2009年6月27日
- ^ 亀田興、前哨戦クリア ボクシングニュース「Box-on!」 2009年9月5日
- ^ 和毅3回KO勝ち 初ベルト獲得 中米カリブ王座 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年1月17日
- ^ 和毅、メキシコで大差判定! 14連勝! デイリースポーツ 2010年5月31日閲覧
- ^ 亀田三男、和毅がユース・インター王座獲得 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年7月12日
- ^ 亀田和が世界ユース王座獲得 ドロー発表が2-1判定に変更 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年8月30日
- ^ 弟大毅は苦闘の2-1判定で初防衛 WBAフライ級戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年12月27日