「アルブレヒト2世 (バイエルン公)」の版間の差分

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2011年4月17日 (日) 16:27時点における版

アルブレヒト2世Albrecht II,1369年 - 1397年1月21日)は14世紀下バイエルン=シュトラウビング。下バイエルン=シュトラウビング公兼エノー伯ホラント伯ゼーラント伯アルブレヒト1世の次男。ヴィルヘルム2世の弟、ヨハン3世の兄。

シュトラウビングに居住して内政に専念する一方、シュヴァーベン都市同盟ザルツブルク大司教の争いに介入、父と兄のヴィルヘルム2世の元にも出向いている。1397年、シュトラウビングへ戻る途中にケルハイムで死去。シュトラウビング領は父の単独統治となり、その死後は兄が相続した。

先代
アルブレヒト1世
下バイエルン=シュトラウビング
1387年 - 1397年
アルブレヒト1世と共同統治
次代
アルブレヒト1世

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