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2010年10月28日 (木) 00:56時点における版

栗田氏(くりたし、くりたうじ)は、日本氏族の一つ。

信濃栗田氏

信濃栗田氏は、北信地方の武家氏族のひとつ。河内源氏源為國の子寛覚が顕光寺別当となり水内郡栗田村に住居して栗田氏となった。(他に信濃村上氏の庶流とする説もある。)鎌倉時代から室町時代までは善光寺別当職を務め、有力国人となる。戦国時代初期には村上氏に従っていたが、川中島の戦いでは武田方(里栗田)・上杉方(山栗田)に分裂した。江戸時代には、酒田藩水戸藩松本藩等に仕えた。

信濃栗田氏関連人物

  • 栗田寺別当大法師範覚 治承4年(1180年)9月7日に信濃国市原(現在の長野市若里市村神社南面の犀川渡河地域と考えられている)付近で市原合戦が行われた。平家に味方する信濃の豪族・笠原平五頼直が源義仲討伐のため、木曾への侵攻を企てた。それを察した源氏方(信濃源氏の名門井上氏の一族)の村山七郎義直と栗田寺別当大法師範覚(長野市栗田)らとの間での戦闘だが決着がつかなかった。この後木曽方が参戦し笠原氏方には越後から城氏が大軍を率いて加勢に駆けつけて横田河原の戦いに発展した。

関連項目