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当公園は[[1923年]]に発生した[[関東大震災]]によって壊滅的な被害を受けた東京の復興事業の一環として[[隅田公園]]([[台東区]]、墨田区)、[[浜町公園]]([[中央区 (東京都)|中央区]])と並んで計画されたものである。当地は元々は[[大日本帝国陸軍|帝国陸軍]]の糧秣厰倉庫であったが公園として整備され、[[1928年]][[7月]]に開園された。戦時中は[[空襲]]からの避難所としての役割や戦災で命を落とした人たちの仮埋葬所としても利用された。こと[[1945年]]の[[東京大空襲]]においては、1万余の遺体が当公園に仮埋葬された。戦後は人々の憩いの場として使われるようになり、次第に[[体育館]]や噴水池などが整備されてきた。また公園の北側には隣接して長く[[精工舎]](SEIKO)の工場があったが、再開発によりオフィスや飲食店などが入った商業施設「[[オリナス]]」が[[2006年]]にオープンした。当施設を始め付近を行き交う人々にも多く利用されている。また、錦糸公園もそれにあわせて現在再整備が進行されている。 |
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2010年8月14日 (土) 12:57時点における版
錦糸公園(きんしこうえん)は、東京都墨田区錦糸にある墨田区立の公園である。錦糸町駅に近く、周辺住民のみならず駅周辺の繁華街を利用する人にも利用されている。
歴史
当公園は1923年に発生した関東大震災によって壊滅的な被害を受けた東京の復興事業の一環として隅田公園(台東区、墨田区)、浜町公園(中央区)と並んで計画されたものである。当地は元々は帝国陸軍の糧秣厰倉庫であったが公園として整備され、1928年7月に開園された。戦時中は空襲からの避難所としての役割や戦災で命を落とした人たちの仮埋葬所としても利用された。こと1945年の東京大空襲においては、1万余の遺体が当公園に仮埋葬された。戦後は人々の憩いの場として使われるようになり、次第に体育館や噴水池などが整備されてきた。また公園の北側には隣接して長く精工舎(SEIKO)の工場があったが、再開発によりオフィスや飲食店などが入った商業施設「オリナス」が2006年にオープンした。当施設を始め付近を行き交う人々にも多く利用されている。また、錦糸公園もそれにあわせて現在再整備が進行されている。
主な施設
- ちびっこ広場
- 芝生広場
- 野球場
- テニス場
- 屋外プール
- 墨田区総合体育館
面積:約56,124m²
近隣施設
アクセスなど
- 錦糸町駅北口より徒歩3分程度。
- 開園時間:常時開園
- 駐車場:一般用はなし
- 料金:入園無料。ただし体育館やプール、野球場など諸施設の利用は有料。予約が必要な場合もあるので詳細は公園事務所に問い合わせのこと。