「土井利厚」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
1行目: 1行目:
'''土井 利厚'''('''どい としあつ'''、[[1759年]]([[宝暦]]9年)-[[1822年]][[文政]]5年))は、[[江戸時代]]後期の大名、政治家。[[下総]][[古河藩]]主。
'''土井 利厚'''('''どい としあつ'''、[[宝暦]]9年[[1759年]])-[[文政]]5年6月24日([[1822年]]))は、[[江戸時代]]後期の大名、政治家。[[下総]][[古河藩]]主。

[[摂津]][[尼崎藩]]主[[松平忠名]]の4男。古河藩主[[土井利見]]の養嗣子となり、はじめ'''利和'''(としかず)と名乗る。正室は[[板倉勝清]]の養女([[板倉勝暁]]の娘)。従四位下侍従・大炊頭

利見が相続後1ヶ月足らずで没した後襲封し、その後45年の長きにわたり古河藩主となった。この間、[[寺社奉行]]、[[京都所司代]]、[[老中]]などの重職を歴任し、1万石の加増も得た。


[[摂津]][[尼崎藩]]主[[松平忠名]]の4男。古河藩主[[土井利見]]の養嗣子となり、はじめ利和と名乗る。
[[寺社奉行]]、[[京都所司代]]、[[老中]]。従四位下侍従・大炊頭。
利厚には跡継ぎがいなかったため、分家の[[三河]][[刈谷藩]]主から[[土井利徳]]の4男・[[土井利位|利位]]を養嗣子に迎えた。
利厚には跡継ぎがいなかったため、分家の[[三河]][[刈谷藩]]主から[[土井利徳]]の4男・[[土井利位|利位]]を養嗣子に迎えた。


==略歴==
==略歴==
*[[1759年]]([[宝暦]]9年) 生誕
*[[宝暦]]9年([[1759年]]) 生誕
*[[1777年]]([[安永]]6年)12月20日 土井利見の養嗣子となり、古河藩襲封。大炊頭。
*[[安永]]6年([[1777年]])12月20日 土井利見の養嗣子となり、古河藩襲封。大炊頭。
*[[1786年]]([[天明]]6年)3月24日 [[寺社奉行]]就任。
*[[天明]]6年([[1786年]])3月24日 [[寺社奉行]]就任。
*1788年(天明8年)6月26日 寺社奉行辞任。
*天明8年(1788年)6月26日 寺社奉行辞任。
*[[1796年]]([[寛政]]8年)12月24日 寺社奉行再任。
*[[寛政]]8年([[1796年]])12月24日 寺社奉行再任。
*[[1801年]]([[享和]]元年)7月11日 [[京都所司代]]就任。
*[[享和]]元年([[1801年]])7月11日 [[京都所司代]]就任。
*[[1802年]]([[享和]]2年)10月19日 [[老中]]就任。
*[[享和]]2年([[1802年]])10月19日 [[老中]]就任。
*[[1822年]]([[文政]]5年)3月28日 1万石加増。
*[[文政]]5年([[1822年]])3月28日 1万石加増。
*1822年(文政5年)6月24日 老中在職のまま卒。
*文政5年(1822年)6月24日 老中在職のまま卒。


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==


*[[土井氏]]
*[[土井氏]]

<center>
<table border = 1>
<tr>
<td width = 28% align = center>
先代:<br>[[土井利見|利見]]
</td><td width = 44% align = center>
古河土井家(土井宗家)<br>
10代
</td><td width = 28% align = center>
次代:<br>[[土井利位|利位]]
</td></tr>
</table>
</center>


[[Category:江戸の大名|といとしあつ]]
[[Category:江戸の大名|といとしあつ]]
[[Category:譜代大名|といとしあつ]]
[[Category:譜代大名|といとしあつ]]
{{生没年|といとしあつ|1759年|1822年}}
{{生没年|といとしあつ|1759年|1822年}}
{{history-stub}}

2005年10月16日 (日) 06:46時点における版

土井 利厚どい としあつ宝暦9年(1759年)-文政5年6月24日(1822年))は、江戸時代後期の大名、政治家。下総古河藩主。

摂津尼崎藩松平忠名の4男。古河藩主土井利見の養嗣子となり、はじめ利和(としかず)と名乗る。正室は板倉勝清の養女(板倉勝暁の娘)。従四位下侍従・大炊頭。

利見が相続後1ヶ月足らずで没した後襲封し、その後45年の長きにわたり古河藩主となった。この間、寺社奉行京都所司代老中などの重職を歴任し、1万石の加増も得た。

利厚には跡継ぎがいなかったため、分家の三河刈谷藩主から土井利徳の4男・利位を養嗣子に迎えた。

略歴

関連項目

先代:
利見

古河土井家(土井宗家)
10代

次代:
利位