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2010年5月19日 (水) 07:39時点における版
長昌院(ちょうしょういん、寛永14年(1637年) - 寛文4年2月28日(1664年3月25日))は甲府藩主・徳川綱重の側室で、第6代将軍・徳川家宣の生母。名は保良。
略歴
後北条氏の家臣・田中勝宗の娘とされるが、魚屋の伏見屋五郎兵衛(善兵衛)の娘などとする説もある。
成長した保良は、徳川秀忠の長女・千姫の女中であった松坂局に奉公する。やがて綱重に見初められて側室となり、寛文2年(1662年)に虎松(後の家宣)、同3年(1663年)に熊之助(後の松平清武)を生む。しかし、保良は綱重より7歳も年上で、しかも当時の綱重は公家二条光平の娘・隆崇院との縁談が持ち上がっていた。そのため、虎松は家老・新見正信が養い、清武は藩士・越智清重が養った。また、保良は清重に預けられるが、寛文4年(1664年)2月28日に病没する。行年は28で、遺骸は日暮里(東京都荒川区)の善性寺に埋葬されたが、虎松改め家宣が将軍となったため、のちに寛永寺へ改葬された。
尚、姑の順性院(徳川家光の側室・夏)とは折り合いが悪かったとされる。[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。
現在、長昌院の墓碑は谷中(同台東区)の徳川家墓地にあり、善性寺には上野館林藩主となった清武の墓碑がある。