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[[ファイル:Maksymilian kolbe.jpg|right|thumb|220px|聖マキシミリアノ・マリア・コルベ]]


'''聖母の騎士社'''は宗教法人カトリック[[コンベンツァル聖フランシスコ修道会]]日本管区で印刷出版業務を行うことを目的として[[長崎市]]本河内の聖母の騎士修道院内に設置されている[[出版社]]。[[1930年]]の[[5月15日]]に創刊された「無原罪の聖母の騎士」で、現在の月刊誌「聖母の騎士」や聖母文庫の出版を行い、他にも[[カトリック教会]]等の広報誌や受注印刷等にも幅広く対応している。
'''聖母の騎士社'''は宗教法人カトリック[[コンベンツァル聖フランシスコ修道会]]日本管区で印刷出版業務を行うことを目的として[[長崎市]]本河内の聖母の騎士修道院内に設置されている[[出版社]]。[[1930年]]の[[5月15日]]に創刊された「無原罪の聖母の騎士」で、現在の月刊誌「聖母の騎士」や聖母文庫の出版を行い、他にも[[カトリック教会]]等の広報誌や受注印刷等にも幅広く対応している。

2010年5月1日 (土) 22:04時点における版


聖母の騎士社は宗教法人カトリックコンベンツァル聖フランシスコ修道会日本管区で印刷出版業務を行うことを目的として長崎市本河内の聖母の騎士修道院内に設置されている出版社1930年5月15日に創刊された「無原罪の聖母の騎士」で、現在の月刊誌「聖母の騎士」や聖母文庫の出版を行い、他にもカトリック教会等の広報誌や受注印刷等にも幅広く対応している。

1930年4月24日ポーランド修道会クラクフ管区からマキシミリアノ・コルベ神父、ゼノ・ゼブロフスキー修道士、コンラド修道士が長崎に上陸した。その1か月後には、雑誌「無原罪の聖母の騎士」(現在の月刊「聖母の騎士」)を発行した。

なお、同神父に日本宣教を勧めたのは、当時ローマに留学していた里脇浅次郎神学生(後の長崎大司教、枢機卿)だった。コルベ神父は無原罪の聖母マリアを守護者とする聖母の騎士会 (M.I.) およびポーランドの聖母の騎士修道院の創設者で、「アウシュヴィッツ聖人」として知られている。

ポーランドにおける聖母の騎士会の活動が、出版などマスメディアを使った宣教活動に熱心だったため、修道会は日本でも聖母の騎士社の名称で出版活動を行っている。

最初の修道院は、大浦天主堂下にあった旧雨森病院の建物を使用していたが、その後に本河内水源地近くの山林を入手し、自前の修道院を建設した。

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