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台北栄民総医院(台北榮民総医院;ピンインtai2bei3rong2min2zong3yi1yuan4)は中華民国(台湾)台北市にある最も大きな国立病院のひとつである。略称は台北栄総。行政院国軍退除役官兵輔導委員会の直管病院である。
台湾における医療衛生体制において、国立台湾大学付属病院、三軍総合医院、国立成功大学付属病院及び長庚紀念医院と同じく最高レベルの医療センターとして位置付けられている。また、22階建ての中正棟は石牌地区のランドマークの一つとなっている。
規模
開院当初は病床数約600の現役または退役軍人専用病院であったが、現在では一般にも開放されている。1日の外来患者は10,000人台、病床数約3,000、医師数960人強、看護師約2200人強をはじめ全職員数は5,000人を超える。病院は中正棟、思源棟、長青棟、第一、二、三門診ビル、致德棟、神経再生センター、身障センター、動力センター等で構成され,敷地面積302,216ヘクタール,総建築面積は511,364平方キロメートルとなっている。
沿革
- 1958年7月1日創立、1959年11月1日正式に業務を開始。首任院長は盧致德博士。
- 1971年經蔣經国指示、會同国防医学院共同成立陽明大学医学部培養医療人材。
- 1981年 台北栄総台中分院(台中市)開院。
- 1985年台湾で初の体外受精による妊娠、出産を成功させる。
- 1988年蔣經国総統,本院で逝去。;台北栄総台中分院が独立し台中栄民総医院となる。
- 1990年台北栄総高雄分院(高雄市)開院。
- 1993年台北栄総高雄分院が独立し高雄栄民総医院となる。
- 2004年前総統夫人であった蔣方良夫人、本院にて病逝。
- 2006年前行政院長であった孫運璿資政、本院にて病逝。
- 2009年1月16日台大医院院長及び衛生署署長を歴任した林芳郁博士が本院総院長に就任。
117号病室
117号病室は地理的な位置及び蒋介石一族の特別な関係から特殊病室といわれた。蒋介石一族のプライベートな病室であり、蒋介石一族の三代にわたり、健康診断、休養、治療を行ってきたといわれる。最近では1989年4月14日、1991年7月1日、1996年12月22日蔣孝文、蔣孝武、蔣孝勇三兄弟が搬送されたことから、この病室の神秘性が話題となった。