「イエスの幼少時代」の版間の差分

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*[[R・T・フランス]]著、[[古山洋右]]訳『イエス・キリストの生涯』いのちのことば社、1983年
*[[R・T・フランス]]著、[[古山洋右]]訳『イエス・キリストの生涯』いのちのことば社、1983年


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2010年2月19日 (金) 01:35時点における版

バルトロメ・エステバン・ムリーリョによる幼少の頃のキリスト
プラハイエス像教会にある幼少の頃のイエス像

イエスの幼少時代(いえすのようしょうじだい)はルカによる福音書2章41節-52節に書かれているイエス・キリストの幼年時代。

聖書の記述の要約

通常ユダヤ人の男子は13歳でバル・ミツバを行い宗教的に大人の仲間入りが認められる。その準備は12歳から始まる男子の義務は過越の祭りと七週の祭り、仮庵の祭をエルサレムで守る事であった。

特に重要であるのが、過越の祭りで、巡礼者たちはエルサレムに行って、最低二日間滞在することを義務付けられていた。12歳になったイエスは、両親と一緒にエルサレムに巡礼した。両親が義務を果たして、岐路に着くとイエスがいないのに気づいて、エルサレムまで戻った。

三日後に、両親はエルサレムの神殿で、ラビたちと語り合っているイエスを見つけた。その聖書知識の熟達ぶりに学者たちが舌を巻いた。両親はどうしてこんなことをしたのかとたずねた。しかし、イエスはどうして自分を探したのかと逆に両親に問うた。

ルカが記録しているこの出来事は、主イエスが旧約聖書の教育をひたむきに求めていたことを示している。

参考文献