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堀川の今出川通から二条城までの開渠部に水流を復活させ、親水公園として整備する |
堀川の今出川通から二条城までの開渠部に水流を復活させ、親水公園として整備する事業が京都市によって進められた。[[琵琶湖疏水]]分線から賀茂川を[[サイフォン]]でくぐり、[[紫明通]]、堀川通の地下に導水路を設けて水を引く。二条城から下流では二条城の外堀を経て[[西高瀬川]]に放水する。[[2002年]]度から事業が始まり、[[2009年]][[3月29日]]に通水式典が行われるとともに通水が開始され、事業が終結した。京都市公式サイトによると事業費は18億円とされる<ref>http://www.city.kyoto.lg.jp/kensetu/page/0000059018.html</ref>。 |
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2009年3月31日 (火) 02:10時点における版
地理
堀川の本来の源流は北区の船岡山東麓だが、現在この付近の水流は暗渠化されており、地表に水流は見られない。今出川通の南で地表に現れ、堀川通の東に沿って南下する。一条通の一条戻り橋はこの区間にある。二条城前の押小路通から南は再び暗渠となり、西本願寺の東でわずかに地上に現れるほかは堀川通の地下を流れる。近鉄京都線上鳥羽口駅の西で開渠となり、すぐに鴨川と合流する。鴨川との合流直前を除きほとんど水は流れていない。
歴史
平安京造営以前には、古烏丸谷(現在の烏丸通付近)や古堀川谷(堀川通付近)に自然の河川が流れていたと推測されている。平安京造営にあたって、これらの川を改修して堀川小路に沿う運河としたのが堀川の起源である。なお朱雀大路を挟んで対称の位置には西堀河(現在の紙屋川)が作られた。平安時代には物資の運搬のほか、貴族の庭園に水を引くためにも用いられた。後には農業用水や友禅染などにも用いられるようになった。
第二次世界大戦後の下水道の整備などにより、水流はほぼ消滅した。
堀川水辺環境整備事業
堀川の今出川通から二条城までの開渠部に水流を復活させ、親水公園として整備する事業が京都市によって進められた。琵琶湖疏水分線から賀茂川をサイフォンでくぐり、紫明通、堀川通の地下に導水路を設けて水を引く。二条城から下流では二条城の外堀を経て西高瀬川に放水する。2002年度から事業が始まり、2009年3月29日に通水式典が行われるとともに通水が開始され、事業が終結した。京都市公式サイトによると事業費は18億円とされる[1]。
関連項目
脚注
外部リンク
- 堀川水辺環境整備構想 - 京都市河川課