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2009年3月23日 (月) 10:28時点における版

ガイウス・ドゥイリウス(Gaius Duilius, 紀元前3世紀、生没年不詳)は、第一次ポエニ戦争の時期に登場した共和政ローマの政治家。

詳しい家系などは分かっていないので、当時ローマ社会に台頭しつつあった新興階級であったと考えられている。このような古来からの社会的なつながりのない家系にもかかわらず、カルタゴとの軋轢がもとで第一次ポエニ戦争となるとコンスルに当選する。同僚コンスルのグナエウス・コルネリウス・スキピオ・アシナとともに軍を統率する立場ではあったが、後続部隊を率いており、あまり活躍は期待されてはいなかった。しかし操船に不馴れなローマ軍は、緒戦で同僚のスキピオ・アシナが捕虜となったため、ドゥイリウスが総司令官となってしまい、その後カルタゴ司令官ギスコ率いる残存勢力と遭遇する。そしてミラエ沖の海戦で大勝利を収める。これはローマ軍の新兵器「カラス」を功を奏した結果であった。ドゥイリウスはこの戦いで多くの敵船を拿捕、その中には敵将ギスコの乗る旗艦も含まれていた。この戦いはローマの軍が海戦で初めて勝利を収めた戦いであった。

この勝利にドゥイリウスは凱旋式を行う栄誉を得て、紀元前258年にはルキウス・コルネリウス・スキピオとともにケンソルを務めている。